塚口城跡
兵庫県尼崎市塚口本町1丁目311468年、細川勝元と山名持豊らによる戦が勃発し、川西市の最徳寺、光遍寺、豊中市の超光寺が川辺郡・豊島郡・能勢郡の末寺や道場などで組織した一揆の中心になった。
塚口御坊は境内のまわりに土居(土塁)、堀を巡らせ、城の構えを備えていた。
そのことから塚口城とも。
1587年、有岡城主荒木村重が織田信長に反して籠城。
塚口城は有岡城の出城であったが、織田軍が攻め落とし、有岡城攻めの付城の一つとして丹羽長秀、蜂屋頼隆、蒲生氏郷、高山右近、神戸信孝などが布陣。
土塁はほぼ消滅し、東町門脇の社が祀られている高台は土塁の名残。