洗心洞跡
大阪府大阪市北区天満1丁目25-36 造幣局 官舎 内
大塩平八郎の邸宅兼私塾である洗心洞の跡
天保7年(1836年)秋から次の年の夏に起きた天保の大飢饉で大坂東町奉行の跡部良弼は幕府への機嫌取りのために大坂から江戸へ強制的に廻米し、また豪商が米を買い占めた。大塩平八郎は、心を痛め、跡部良弼に対して、蔵米を民に与えることや、豪商に買い占めを止めさせるなどの提案を跡部良弼に行った。しかし無視されたため大塩平八郎は、もはや武装蜂起以外に根本的解決は望めないと考え、天保8年2月19日(1837年3月25日)に門人、民衆と共に蜂起する。しかし、同心の門人数人の密告によって事前に大坂町奉行所の知るところとなったこともあって、蜂起当日に鎮圧されている。