薪能金春芝跡碑
京都府京田辺市薪里ノ内82-1室町時代、能役者・能作者として活躍した金春禅竹は、一休禅師に対して猿楽の能を演じ観覧に供した。
1405年、金春禅竹は大和四座の一つである円満井座(金春座)の太夫金春弥三郎の子として生まれた。
能楽の大成者世阿弥の娘婿となり、世阿弥の能を発展させて金春流隆盛の礎を築いた。
「六輪一露之記」などの芸術論がある。
1467年、応仁の乱が勃発して一休禅師が酬恩庵を訪れていた間、禅竹も薪の多福庵に移り、二人の間に交流があったという。
一休も能に関心を示し、謡曲の「山姥」「江口」は一休の作とも伝えられる。