日本国新聞発祥之地
166-6 山下町 中区 横浜市 神奈川県 日本
1837年、彦太郎(ジョセフ彦)氏は兵庫県加古郡播磨町生まれ。
1850年、江戸から船で兵庫県加古郡播磨町に帰る途中、暴風雨に遭遇し、50日余り太平洋を漂流、米国商船に救われ、渡米した。
税関長サンダースによって米国教育を受け、カトリックの洗礼を受けた。
クリスチャンネーム「ジョセフ」を受け、ジョセフ彦と名乗り、米国籍を得た。
1859年、米国領事館の通訳として、ハリスとともに開国直後の日本に着任。
一旦、米国に帰国後、再来日し、日本初の新聞を発刊。
月刊「海外新聞」は、半紙約5枚を仮綴したもので、手書き後に活版印刷を用い、2年間で26号まで発行。
1897年まで、新生日本の発展に尽くした。