台湾のおすすめスポット情報が掲載されているページです。
Changhua Station
彰化県の玄関、台鉄彰化駅。 高鉄(新幹線)にも彰化駅がありますが、彰化県南の田中鎮という所にあり彰化市へは距離があるので、彰化市へ行く場合は、新幹線で台中下車、台鉄に乗り換えて移動した方が便利です。 台鉄縦貫線は、北は竹南駅から海線と山(台中)線のと別れていて、彰化駅は南の分岐駅でもあります。 また、彰化市は台中市に隣接していて、清の時代から重要な都市となり、彰化県城が造られたところでもあります。
綺麗珊瑚博物館
台湾で有名な珊瑚加工卸業者「綺麗珊瑚」が運営している珊瑚や翡翠などの芸術品を展示している博物館。 創立者は女性の方で、時は1973年、17歳のころ高雄のとある港で水売りをしていた時、偶然に出会った船員に「これは高価なものだよ、大事に持ってなさい」と渡されたものが珊瑚であったのがきっかけで、高雄で珊瑚卸業を始めたのが「綺麗珊瑚」起業のはじまり。 当時は、蘇澳エリアの漁港付近でもサンゴの販売が盛んだったことから「綺麗珊瑚」も蘇澳エリアに販売の店舗を構え、その後、台北などにも店舗拡大をし、今では台湾を代表する珊瑚卸業者となりました。 水・木曜及び不定期で休館(HPで要事前確認) 要入場料
基隆連珍糕餅店
品質第一、衛生第一、信用第一をモットーに、伝統的お菓子を作り続けている連珍。 開業100年以上たった今、地元の人から愛されるだけでなく、台北をはじめ市外からも買いに来る人気のお店です。 地元の人からはタロイモペーストのお団子が大変人気です。
台北故宮天下為公牌楼
この牌楼(アーチ)は1967年に建てられたもので、アーチには「天下為公」と書かれています。 「天下為公」は、「政治は公のためにある」という意味で、中華民国の国父と呼ばれる「孫文」の理念でもあります。 このような牌楼(アーチ)は、中国の伝統的建築様式の門の一つで、宮殿などの建物の前に建てられ、現在も規模的には異なりますが、廟の前などのいろいろな所で見る事ができます。
石門洞
台湾本土の最北端にあり海に面している石門。 海蝕が繰り返されて出来た石門洞があり、日本時代に史蹟名勝天然記念物に指定されました。 石門洞は、ここ「石門」の名前の由来でもあります。
放送局
「台中放送局」は台湾で3番目の放送局で、この建物は1935年に造られたもの。 その建築は今までのとは少し異なるデザインで、当時の建築設計の移り変わりが感じられます。 なんとなくリゾートホテル風の外観が大変印象的。 放送局としては1998年まで使用され、翌年の921大地震により破損、2002年に台中市の歴史建築に登録された後、修復工事が行われました。 現在は、芸術、文化の交流の場となり、展示会やイベントなどが行われています。 月曜日、木曜日、旧正月期間休館
林之助紀念館
台中出身の画家である「林之助」の記念館。 「林之助」は、戦前、日本へ行き「日本帝国美術学校(今の東京武藏野美術大学)」で絵画を学び、1941年、太平洋戦争勃発のため、台中に戻り台湾で美術活動を行いました。 戦後は「台中師範学校(今の国立台中教育大学)」で教員を務め、美術の教科書を編集、また、美術の交流・活動の場所として自ら喫茶店を経営するなど、中部台湾の芸術を支えた重要人物でもありました。 晩年は、息子さんと一緒にアメリカへ移民。 移民した後も、展覧会を行うなど芸術活動を行い、台湾との間を行き来していたそうです。 日、月曜日、台湾祝日休館
MRT Taichung City Hall Station(Taiwan Blvd.)
台中市政府の最寄り駅。 「文心路」と台中のメインストリート「台湾大道」の交差点にある駅で、駅のすぐのところに台中市政府があります。 「台中國家歌劇院 ナショナルタイチュンシアター」の最寄り駅でもあり、駅から徒歩約15分のところにあります。 「台湾大道」の方へ行けば三越などのデパートもあり、利用客の多い駅の一つです。
石門婚紗広場
海をバックに撮影できるウェディングフォト広場。 台湾は記念写真、変身写真の撮影が盛んなんです。 そして、その料金も日本に比べるとお安いのです。 特に結婚式の前には、何枚ものウェディングフォトを撮影してアルバムをつくり、さらに写りの良い何枚かを選び、結婚式当日式場に飾ったり、お礼カードを作ったりします。 ここはその撮影のために造られたフォト広場です。💐
新竹東門市場
清の時代は新竹都城隍廟のある北門付近が賑やかでしたが、1900年に東門消費市場がここに造られ、街の中心がこの付近に東門に移ってきました。 今の市場は戦後に再建されたもので、再建当初は地下1階、地上1階は野菜やお肉、2階は洋服、高級舶来品等も販売していました。 現在、1階と2階の1部で食堂やバーが営業しています。ぷらり覗いてみてはいかがでしょう? 月曜日休場。
宜蘭餅観光工廠DIY
「宜蘭餅」は宜蘭名産の代表の一つ。 中国での「餅」は、コムギなどの穀粉を材料とし、平らにして焼いたり、餡を包んで丸くして焼いたり、揚げたりしたものを言い、「宜蘭餅」の中でも大変人気なのが形が似ていることからその名がついた「牛舌餅」。 特製生地を牛の舌のような形に整え、平らにして焼いた、サクサクとした口当たりが癖になってしまう一品で、薄焼きのものやチーズ味、シロップ味などフレーバーも何種類かあり、お土産に大人気です。 日本へのお土産にもいいですね。
一米特米食点心観光工廠
愛嬌あるオブジェがお迎えしてくれる「一米特米食点心観光工廠」は、米の生産も盛んである宜蘭ならではの観光工場。 創立者の方は、地元「宜蘭蘇澳」出身で、小さいころ母親と一緒に田んぼで米作りをしている父親や兄弟にお弁当を届けに行き、働く家族の姿をみて米作りは大変な仕事だと深く感じていました。 その感謝の気持ちを込めて、生まれ故郷で「一米特米食點心觀光工廠」を起ち上げ、技術の開発、研究を行い、地元のお米を現代の人たちに気軽に食べてもらえることを目的に生産、販売をしています。
奇麗湾珍奶文化館
タピオカミルクティーの文化館「奇麗湾珍奶文化館」。 タピオカミルクティーはみなさんご存じの通り台湾では定番のスイートドリンクで、1983年に台中で生まれたと言われている台湾茶と洋風スイーツが融合された飲み物。 このテーマ館は2000年ごろに造られた、タピオカの製造過程の説明やドリンクのDIYを体験出来る所で地元の子供たちにも大人気のテーマ館。 国内旅行のスポット等としても知られていて、お休みの時にはこども連れのお客さんも多く、館内体験を楽しんでいます。 また、「奇麗湾珍奶文化館」の建物は環境に配慮したグリーンビルディングでもあります。
宜蘭虎牌米粉那個年代観光工廠
米どころである宜蘭の良いお米を使用して作る1970年創業のビーフン工場。 創業者は、1950年代に家族と台北の「大稻埕迪化街」で樽の醤油等を販売していたため、ここの小売業者との親しく、1950年代後半には「埔里」のビーフンも販売するようになり、レストランなどへも範囲を広げていきました。 1970年には自らのブランドを立ち上げ、生産するビーフンが台湾で一番売れるように、また消費者にも覚えてもらえるようにと、機動性があり賢い動物である虎を商標とし、現在では日本をはじめ海外にも輸出するメーカーとなっています。 要入場
玉兎鉛筆学校観光工廠
「玉兎鉛筆」は、台湾を代表する3つの鉛筆生産会社の1つ。 1947年創立の当初は台北の文具店で、後に紙やクリップなどの製造をはじめ、1964年に鉛筆の製造を開始しました。 台北の工場は手狭になったため、木材の生産地でもあるこの地に1971年に工場を造り今日に至ります。 また、「玉兎鉛筆」は台湾で初めてボールペンを生産したことでも知られています。
信義区
台北101ビルなどがあり有名レストランや人気ショップもありショッピング、娯楽、グルメ、芸術パフォーマンスなどが楽しめ最新のトレンドエリアです。
台北市ローカル教育センター
台北市郷土教育園區の館内は、早期に物流の拠点となった剥皮寮の歴史、台湾の教育、医療の発展などを紹介していて、この地域の文化を後世に伝える働きも担っています。 建物自体が歴史の資料なので、展示で紹介されている以前に撮影された写真と現状を比較することもできます。 300年以上前に開拓が始り、台北市の発祥の地と言われる「萬華」を知ることが出来る資料館です。
霧峰林家莱園
1746年、中国の福建漳州から台湾に渡ってきた「林家」。 3代目の「林甲寅氏」は生活の拠点を霧峰としここ一帯の開拓を始めました。 後に、大地主となり商いを営み資産を得た「林家」は、1837年に四代目で「林甲寅」の長男「林定邦」の「下厝」と次男「林奠国」の「頂厝」の二つの家系に分かれ、「下厝」は軍人として、「頂厝」は教育、文化に影響力を持つ家系となります。 「林家莱園」は次男「林奠国」の「頂厝系統」の花園で、以前からある「林家」の庭園を、5代目「林文欽」が1893年より再建築、母親(羅太夫人)へ感謝の意を込め休息が出来る場所として整備しました。 また、日本統治時代の台湾3大名園でもあります。
茉莫 La monmon
霧峰でブランチが楽しめるカフェ。 このエリアはカフェが少ないのですが、ここはコスパも良く店内もモダンなオシャレカフェ。 お食事はイタリアンが主で、ドリンク、スイーツのメニューも充実しています。 お昼時になると、ランチ目当ての方であっという間にいっぱいになります。 ご利用の場合は、是非事前に予約することをお勧めします!
霧峰南天宮
「阿罩霧」とは「霧峰」の旧地名。 ここは軍人として活躍をした、「林家」の5代目「林文察」が、1863年に中国大陸部から台湾に戻る際、「無事に台湾に帰れるよう」と漳州より分霊してもらい船中で手を合わせていた航海の神様「媽祖」を祀っているところ。 「林文察」が無事に霧峰に戻ってきてまもなくは、住居内に置かれあがめられていましたが、その後、「宮保第」の後方の土地である現在の位置に「廟」を造り祀ったのが始まりです。
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