大阪市中央区のおすすめ史跡情報が掲載されているページです。
上方落語寄席発祥の地
かつて、ここは、上方落語寄席の発祥地として知られ、人気を集めている。 江戸時代末期、初代桂文治によって、坐摩神社の境内で小屋を開設し、本格的に活動し始めたことによる。
大阪城 一番櫓
#史跡
懐徳堂旧阯碑
1724年、中井甃庵(しゅうあん)らによって創設された学問所である。 創設から廃止されるまでの145年間、多くの人材を育てたと言う。 現在、大阪大学では、年に2回、懐徳堂講座が行われている。
残念石
大阪城 太鼓櫓跡
大阪城 空堀
#城 #史跡
小楠公義戦之碑
楠木正成の子正行がこの渡辺の地で戦ったとき大勝したが、そのとき、川に落ちた敵兵を救い、衣服と、薬を与えたと伝える。 1347年、瓜生野の戦いで、山名時氏、細川顕氏を打ち破った。 逃げる敵をこの川に追い詰めて、500人以上の敵兵が川に落ち流された。 楠木正行は、部下に命じ、これらの兵士を救って衣服や薬を与え、京へ帰したと言う。 1940年、石碑を建立。
帝国座跡
1901年、オッペケペ一節や壮士芝居で知られた川上音二郎が、新派の拠点として建築した。 大阪で初めてとなる純洋式劇場で「オセロ」「ベニスの商人」などを上演したと言う。
難波御蔵 難波新川跡
江戸時代、幕府直轄であった天王寺御蔵と難波御蔵の2つがあった。 難波御蔵は飢饉に際して設けられ、幕府直轄の米蔵が置かれていた。 米蔵八棟は、災害時の救援米貯蔵の役割を担っていた。 1733年、「難波新川」が道頓堀湊町付近から難波御蔵へと流れた。 その後、いたち川へと流れていたが埋め立てられた。
林市蔵先生肖像
林氏は、肥後(熊本県)出身で帝国大学を卒業した。 三重県や山口県知事を経て、大阪府知事を歴任。 7年米騒動に際して小河滋次郎とともに方面委員を創設した。 現在の民生委員制度の始まりとされ、民生委員の父といわれている。 後の日本信託銀行頭取などを務めた。
大阪城 隠し曲輪
梅川忠兵衛 ゆかりの淡路町
碑が建立された地域である淡路町はかつて近松門左衛門が描いた浄瑠璃の作品「冥途の飛脚」の舞台となった。 近松門左衛門の作品「冥途の飛脚」は、登場する遊女の梅川と養子となった飛脚問屋で亀屋の忠兵衛が過ごしたという実話を題材にしたという。 「冥途の飛脚」は近松門左衛門の代表作「曽根崎心中」「心中天の網島」と並ぶ3大傑作とも評され、石碑が建立された。
坐摩神社行宮
#史跡 #神社
難波宮大極殿跡
芭蕉終焉の地
INS発祥の地
大阪府大阪市中央区のアーバンエース北浜アネックスビル前に設置された石碑。 INSとは日本のNTT(NTT東日本およびNTT西日本)の電気通信サービスの登録商標。 1988年、旧NTTによって「INSネット64」「INSネット1500」の商標でIインタフェースによる商用サービスが開始。 1998年のNTT再編後、NTT東日本・西日本から提供されている。 「明日への通信 INS発祥の地」の石碑が建立。
大阪活版所跡
1870年、本木昌造氏が設計し、創設させた活版所で、当時の面影はない。 幕末、本木昌造氏は、長崎のオランダ語の通訳だった。 職業柄、主に洋書を使用していたが、木版印刷の研究を始めた。 1851年、日本で初めて、鉛の流し込みによる活字の鋳造に成功した。 その後、大阪初の鉄橋だった高麗橋の架橋にも加わった。
心学明誠舎跡
1729年、石田梅岩を中心に心学が活発となる。 1785年、大坂の明誠舎は、梅岩の孫弟子井上宗甫によって開かれた。 1790年、明誠舎や静安舎、倚衡舎、恭寛舎、敦厚舎が設けられた。 1938年まで当地にあった。
植木屋吉助店跡
1692年、吉助氏は、植木屋を創業。 約3000坪の広大な敷地には、庭園を造営。 初夏の牡丹、晩秋の菊などのために花壇が設けられ、観賞用の座敷や四阿も建てられていたとか。 そのため、遠方からも見物客が訪れ、にぎわっていたとか。 「植木屋吉助」は、和漢の名木を船で各地に発送、江戸でも評判となった。 明治時代、松井吉助氏が植木商を続けていたが、廃業。
大阪
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