宗休寺(関善光寺)
岐阜県関市西日吉町35
「五郎丸ポーズの仏像」で話題になった関善光寺です。
観光アプリ”雲揚羽”でも紹介されています。
戦国時代、武田信玄の家臣だった広瀬利広は戦いに敗れ、岐阜県の関まで落ち延びてきました。
関に住みついた子孫の広瀬新太郎は、江戸時代、先祖供養のために小さな庵を建立しました。これが関善光寺の始まりです。
始めはささやかな庵でしたが、1800年頃、関の領主だった雲八の子孫が境内地を寄進し、立派な建物が整えられていったそうです。
関市の歴史講座では、「武田家滅亡後、広瀬利広を関に呼んだのは…、おそらく大嶋雲八でしょう。」という話がありました。