江東区のおすすめランドマークスポット情報が掲載されているページです。
ブルーボトルコーヒー 清澄白河フラッグシップカフェ (旧:清澄白河ロースタリー&カフェ)
日本1号店の清澄白河のブルーボトルコーヒー!店内は広くてとてもおしゃれな雰囲気でテンション上がります。コーヒー以外にもワッフルなどのフードメニューも豊富ですごく美味しそうでした🧇 今回は飲み物をテイクアウトして公園へ向かいます💨
実物大ガンダム立像
残念ながら解体されてしまったガンダム立像。解体のされ方で左腕と「たかがメインカメラ」の頭部からだったことから、ファンの間で「わかってるなぁ」と評判だったのがいい記憶に新しいところです。ジオングの頭部と相打ちになる、いわゆるレストシューティングですね。
実物大ユニコーンガンダム立像
#ランドマーク
木場の角乗
江戸時代、材木商は日本橋付近に集中し、材木河岸を形成。 1657年、明暦の大火により幕府は寺社仏閣や大名屋敷等を移転させ、江戸の町を整備。 材木河岸は墨田川の対岸に位置する深川に移転。 明治時代、周辺の埋め立てが進み、木場は内陸となった。 1969年、沖合の埋立地に貯木場を設置して新木場となったことにより、従来の貯木場は埋め立てられ、木場公園として整備。 毎年10月に開催される江東区民祭りで木場の伝統芸「木場の角乗」が行われ、見物できる。
木場木遣之碑
「木場の木遣り」の発祥は古く、1600年代には存在したとか。 当時、幕府のお船手の指図で、伊勢神宮の改築用材を五十鈴川より木遣りの掛け声で水揚げ。 元来、神社仏閣の鳥居や大柄な用材を納める場合には木場木遣り特有の「納め木遣り」が用いられた。 武家屋敷が並んでいた両国の七つ谷の倉の間部河岸で3代将軍家光公に筏の小流し(さながし、筏組)、角乗り、木遣りを披露。 以後、年中行事となった。 この時、言葉「川並み」が発祥したとも。 1979年、米国グラント前大統領の来日の際、木遣りは角乗りと共に上野の不忍池で天覧の栄に浴している。
三十三間堂跡
江戸時代、富岡八幡宮の東側にあった仏堂。 本尊は千手観音。 1642年、京都府京都市東山区にある三十三間堂(蓮華王院)での通し矢の流行を受け、弓師備後は幕府より浅草の土地を拝領、京都の三十三間堂を模した堂を建立したのに始まる。 落成では将軍徳川家光の命により旗本吉田久馬助重信(日置流印西派吉田重氏の嫡子)が射初め(いぞめ)を行った。 1698年、勅額火事により焼失。 1701年、再建。 1872年、江戸三十三間堂は廃されて堂宇は破却。 京都の通し矢同様、距離(全堂・半堂など)、時間(一昼夜・日中)、矢数(無制限・千射・百射)の異なる種目があり流行。 記録達成者は「江戸一」を称した。
日清紡績創業の地
1907年、現在の日清紡ホールディングスの前身にあたる日清紡績が創業。 本社と亀戸工場を新設。 1945年、 戦災により焼失。 1967年、工場敷地は住宅団地と水道局用地になった。 日清紡は現在、東京都中央区日本橋に本社を移転し、エレクトロニクス、ブレーキ、精密機器、化学品、繊維の分野に事業を拡大。 吉田茂元首相、根津財閥総帥の根津嘉一郎、日清製粉創始者の正田貞一郎と親交深かった宮島清次郎(日本工業倶楽部元理事長)と、池田勇人内閣時に小林中、水野成夫、永野重雄とともに「財界四天王」と言われ、政界にも絶大な影響力を持った桜田武(日経連元会長)を輩出。
ドラム缶発祥の地
米国ではスチール製ドラム缶を発明し、製造。 1929年、日本石油下松精油所では日本で初めてとなるドラム缶を製造。 1932年、自家用として生産したことに始まるが、事業家本野吉彦が合資会社日本ドラム罐製作所を設立。 当地に日本で初めてとなるドラム缶製造専門工場を建設し、商業生産を開始。 1974年、製鐵ドラムと合併、日鐵ドラム株式會社となった。
東京
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