戦国時代、畿内・阿波国の戦国大名、室町幕府の摂津国守護代、相伴衆として活躍。
1522年、細川晴元の重臣で三好元長の嫡男として芝生城(徳島県三好市)生まれ。
政敵「細川高国」と戦って勝利するも「本願寺」の信徒による一向一揆に攻められ、堺から阿波に身を移した。
本願寺による一向一揆は拡大し、細川晴元自身も限界に。
三好長慶は、細川晴元と本願寺10代宗主「証如」を引き合わせ、和睦を成立。
和睦に反対した本願寺の勢力は摂津の御園で討ち破り、一向一揆の拠点「越水城」を奪還。
三好家は一向衆とともに細川晴元に対抗し、「椋橋城の戦い」で両軍が対峙するも「細川家」の和睦を受け入れ、従属を決意。