せやせや!関西が好っきゃねん
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まいどまいど!
大阪に沖縄文化漂うまちがあるって知ってた?
場所は、大阪市大正区。
通称、リトル沖縄といわれ、区内各地には、沖縄料理に代表される沖縄そばやサーターアンダギー、そして、シーサーが観光客をお出迎え。
かつては、沖縄出身者が大阪経済を支えていたため、現在もその名残がありまんねん。
大阪の中の沖縄の風を感じていきまひょ!

はいさ~い!大阪で沖縄の風を感じて!なんくるないさ~

はいさ~い!大阪で沖縄の風を感じて!なんくるないさ~

まいどまいど! 大阪には、おもろいとこがぎょうさんあるねん! それが、「リトル沖縄」。 もう、この名前、聞いただけで、めっちゃ気になれへん? 今回は、そんな”ちょっと気になる””行ってみたくなる”大阪をご案内いたします! 場所は、大阪市大正区。 皆さんも聞いたことありますやろか? まあ、まず、地元の人やないと、聞いたことあらへん。 そんな地名かもしれまへんけど、かつては、空飛ぶ飛行機の空港が存在したんやで! 名前を木津川飛行場。 大正区は、大阪湾に近く、川が流れているために地盤がゆるく、安定しなかったため、大阪国際空港(伊丹空港)に統合され、すぐに廃港になったとか。 そんな川との縁の深い大正区には、市民のバスだけやなく市民の渡し船も運行されてんねん! バスと同様に市民の足として活躍してはります。 さて、そんな大正区には、多くの沖縄県出身者が住んではります。 当時の大阪府は「大大阪」と異名を持つほどの工業都市として発展。 町中に工場の煙突が乱立していることなどから、東洋のベニス、煙の都と呼ばれたことも。 そんな一角を担った大正区には、沖縄県から多くの労働者が集まりました。

木津川飛行場跡
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木津川飛行場跡

通称、大阪飛行場の規模は、約39万㎡。 1923年、水上機能と陸上機能の2種類を備えた民間の拠点空港として開港し、供用を開始。 1938年の発着回数は8800回、年間の旅客は1万人を越えた。 発着数が限界となった他、工業地帯に位置するため、付近の煙突が離着陸時に邪魔となり、地盤が弱いため大阪第一空港(大阪府堺市)、大阪第二飛行場(大阪国際空港)に移転。 方式は、クレーンで引き上げて滑走路あるいは水路に移送する方法を採用。 客室乗務員は当初、エアガール(後のシチュワーデスと呼ばれ、着物を着用した。 廃港後から空襲まで、格納庫などが残り、暁部隊が駐屯していた。

落合下渡船場
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落合下渡船場

木津川岸にある渡船場。 大正区平尾一丁目と西成区津守二丁目の約138mを結ぶ。 一日に400人が利用し、市民の足となっている。 毎年、10月下旬になると、数百羽のユリカモメが飛来し、翌年4月下旬まで楽しめる。

天然温泉元湯 大正 やまとの湯
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天然温泉元湯 大正 やまとの湯

温泉施設である。 施設内には、深風呂、回遊風呂、ジェットバス、蒸風呂、水風呂、つぼ湯などがある。 その他、エステやリラクゼーション、軽食などが楽しめる。

大正区
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大正区

大正区役所前に設置されている看板。 看板には、江戸時代に描かれた大正区内の街並みが描かれている。 浪花百景にも選出された木津川の風景を始め、当時の大坂が細かく記されている。

上之宮八坂神社
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上之宮八坂神社

八坂神社境内にある碑。 別名、木津勘助とも呼ばれる。 1610年、木津に移住し、姫島を開発し、木津川の工事も行った。 姫島とは、現在の大阪市大正区三軒家である。 1917年、功績を讃えて八坂神社境内に碑を建立し、業績が刻まれた。 1979年、「中村勘助之碑」が新たに建てられた。

三軒家中央商店街
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三軒家中央商店街

商店街では、飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。 駅からすぐにあるので、通勤・通学客や主婦などでにぎわう。 近くには、商店街を抜けた場所に銭湯があり、市民の憩いの場となっている。

泉尾商店街
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泉尾商店街

飲食店や雑貨店が立ち並ぶ昔ながらの雰囲気漂う商店街。

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