大山街道の史跡を巡る
まいどまいど! 神奈川県川崎市内を通り抜ける大山街道とその周辺の史跡や名所をめぐるおでかけプランでんねん。 川崎市内にはぎょうさんの神社、仏閣だけでなく、多摩川などを水源とする神奈川県下で最も古い人工用水路・二ヶ領用水がおまして、独自の歴史がつまっておます。 また、日本の陶芸家として活躍した濱田庄司の足跡をめぐる名所や丹沢の大山詣の道として知られ、江戸の赤坂御門を起点とし、多摩川を渡って二子、溝口、馬絹、荏田、伊勢原、矢倉沢へ至る大山街道などをめぐっていきまっせ。 丹沢の大山詣の道として知られる大山街道は、江戸の赤坂御門を起点とし、多摩川を渡って二子、溝口、馬絹、荏田、伊勢原、矢倉沢へ至る。 大山山頂の阿夫利神社は雨乞いの信仰も集め、五穀豊穣や商売繁盛を願う参拝者が多い。 相模川で獲れた鮎や秦野の煙草なども、この道を通って江戸へ運ばれた。 街道の商人は江戸時代、製造業や卸・仲買いを営んでいた。 大山街道を正式には矢倉沢往還といい、道中奉行所が管轄し、運輸・通信・休泊の機能を備えていた。 往還とは公用旅行者のため伝馬・人足を備える継立村があり、休泊の機能も備えた。
大山小径
丹沢の大山詣の道として知られる大山街道は、江戸の赤坂御門を起点とし、多摩川を渡って二子、溝口、馬絹、荏田、伊勢原、矢倉沢へ至る。 大山山頂の阿夫利神社は雨乞いの信仰も集め、五穀豊穣や商売繁盛を願う参拝者が多い。 相模川で獲れた鮎や秦野の煙草なども、この道を通って江戸へ運ばれた。 街道の商人は江戸時代、製造業や卸・仲買いを営んでいた。 大山街道を正式には矢倉沢往還といい、道中奉行所が管轄し、運輸・通信・休泊の機能を備えていた。 往還とは公用旅行者のため伝馬・人足を備える継立村があり、休泊の機能も備えた。
灰吹屋の蔵
ドラッグストア・調剤薬局として知られる灰吹屋の蔵。 1765年、北伊勢の国(三重県)より江戸(東京四谷)に上り、種々雑多な商品を扱う萬屋弥宗兵衛として創業。 一代目仁兵衛は総本家灰吹屋(1674年創業)より暖簾分け、灰吹屋薬種店が開店。 当時、江戸には北陸地方の富山から薬売り業者が行商に来ていたが、灰吹屋も繁盛した。
ふれあいの鐘
丹沢の大山詣の道として知られる大山街道沿いにあるふれあいの鐘。
蔵造りの店
大山街道にある田中屋呉服店は1911年築。 瓦屋根、土壁、柱、土蔵を持つ「蔵作り」といわれる建て方で、釘を使用せず、ほぞの組み合わせで材木を組み上げた。 窓は格子、扇垂木造りの出窓がある。
国木田独歩碑
小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者として活躍した。 1871年、千葉県銚子市生まれ。 山口、萩、広島、岩国などに移住。 筆名は独歩、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生など。 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟客」を発表。 代表作は「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」「春の鳥」「竹の木戸」など。 雑誌「婦人画報」の創刊者で
岡本かの子 歌碑
小説家、歌人、仏教研究家として活躍した。 1889年、東京都港区青山生まれ 代々幕府や諸藩の御用達を業としていた豪商の大貫家の別邸で誕生。 大貫家は、川崎市高津区二子に居を構える大地主。 腺病質のため父母と別居し二子の本宅で養育母に育てられる。 「女子文壇」「読売新聞文芸欄」などに投稿。谷崎潤一郎と親交のあった兄・大貫晶川の文学活動がはじまり、谷崎ら文人が大貫家に出入り。 与謝野晶子を訪ね「新詩社」の同人となり、「明星」や「スバル」から新体詩や和歌を発表。 長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢へ避暑、追分の旅館油屋に滞在し、岡本一平と知り合う。 後に、岡本太郎を出産。
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