せやせや!関西が好っきゃねん
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日本酒の名産地・西宮と灘五郷

日本酒の名産地・西宮と灘五郷

まいどまいど! 兵庫県の西宮市では豊かな水源に恵まれ今も昔も日本酒の名産地として名高い。 古くから兵庫県西宮市と神戸市を中心とする西宮郷、今津郷、魚崎郷、御影郷、西郷は、灘五郷と呼ばれ「灘の生一本」で知られる日本酒の生産地。 かつては伊丹・池田が代表的な酒処でおましてんけど、江戸時代、当時の技術では品質を落とさずに江戸まで酒を輸送するには困難やったさかい、輸送所要日数が短縮可能な灘地区が主流となり、絞油業も賑わいを見せたという。 現在、酒蔵が立ち並ぶ酒処としてだけやなく、日本酒の製造工程や製造に必要な備品の展示、歴史の紹介などを行っている酒蔵博物館が開設され、見学することもできまんねん。 さらに一部では、お土産の販売や利き酒のコーナーもおまして、日本酒を楽しむ人もぎょうさんいたはりまっせ。 特に、灘五郷は駅からも近く、駐車場も完備。 徒歩で、多くの酒蔵をめぐる人やバスツアーで当地を訪れる人など、灘五郷の楽しみ方は様々。 京都の伏見に負けてへん人気と趣ある雰囲気を今に残してまっせ。 その他、歴史では西宮砲台、ゲゲゲの鬼太郎の原作者・水木しげるさんの足跡も追います。

今津砲台跡
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今津砲台跡

1866年、今津砲台として竣工。 高さ約10m、直径十数mの石造(花崗岩)。 2層目に空けられた砲眼より大砲で四方を狙うことが可能であったとか。 江戸幕府は当時、国防に不安を感じており、勝海舟の建議を取り入れ、大坂湾の海防のために和田岬砲台、舞子砲台、西宮砲台などと共に砲台の建設が開始。 御影石(花崗岩)は主に、岡山県笠岡市より切り出し、海路にて運搬された。 1915年、解体され、「今津海岸砲台記念石」が福應神社へ奉納。 1995年、阪神・淡路大震災による被災・復興を経て、記念碑は当地に移設。

今津灯台
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今津灯台

酒造会社の大関が運営する灯台。 現役の航路標識として使用されている灯台は日本最古で1858年に再建。 高さ約6m。 木造袴腰付灯籠形・銅板葺屋根で、竜山石の基壇上に建立。 灯火部分には格子が組まれ、点灯には油皿を使用、風雨を防ぐ目的として油障子が貼られた。 台石に刻まれた文字「象頭山常夜燈」は海上交通の守り神・金刀比羅宮に奉納された灯明台の意味。 1810年、今津港を出入りする船の安全を守る為、酒造家の長部家によって設置。 今津港では樽廻船による日本酒、木綿、干鰯などの荷を積み下ろしていた。 かつて大関の丁稚が油2合を携えて毎晩のように点灯に向かった。 大正時代、電灯となり、自動点火となった。

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