せやせや!関西が好っきゃねん
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日本の中心地・国会議事堂と霞が関

日本の中心地・国会議事堂と霞が関

まいどまいど! 現代の日本の政治の中心地として知られる国会議事堂。 ここには衆議院と参議院それぞれの建屋があり、内部を見学する人もぎょうさんいたはりまんな。 建物そのものは戦前の1936年に建設され、政治の中枢を担ってきた。 その他、周辺には、霞が関と呼ばれる場所があり、ここには中央省庁が集積。 内閣府をはじめ、農林水産省や国土交通省、国家公安委員会などのビルが立ち並んでまんねん。 また、伊達政宗ゆかりの日比谷公園は区民憩いの場ともなってはりまんな。 ほんで最寄りの有楽町駅やその周辺にはにぎやかな繁華街となっておまして、観光客や買い物客で行き交ってはりまんな。 そんな有楽町駅やその周辺にも深い歴史がおまして東京の歴史を語る上では外されへん存在ともなってまんねん。 そんな有楽町、霞が関界隈を闊歩していきまひょ。

東京交通会館
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東京交通会館

1965年、複合商業施設として竣工。 地下4階、地上15階建。 施設内には店舗、オフィス、展示場などがある。 正式名称は東京交通会館ビルディング。 1960年、東海道新幹線の東京駅乗り入れの決定に伴い、東京交通会館が設立。 1964年、東京オリンピック開催前、有楽町周辺では都市整備が進められていたが一部、太平洋戦争後の闇市より発展した立ち飲み屋・寿司屋など木造店舗が立ち並ぶ「すしや横丁」があった。 1968年、「すしや横丁」は姿を消した。

南町奉行所跡
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南町奉行所跡

江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行の一つ。 その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名で南北両奉行に分かれ月番で交替に執務していた。 1717年、名奉行大岡越前守忠相は1736年まで南町奉行として執務をしていた。 1707年、南町奉行所は常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転、幕末まで当地に存在した。 その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯。

明治大学発祥の地
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明治大学発祥の地

1691年、外濠川に面したこの付近は、肥前島原藩(現在の長崎県)などを治めた深溝松平家の上屋敷が置かれた。 明治時代、屋敷は貸し出され、民権結社による演説会などが盛んに催された。 1881年、法律家の岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操は、屋敷の一部を借り受け、明治大学の前身にあたる明治法律学校を開校。 1886年、神田区駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台)に移転。 1995年、「明治大学発祥の地」碑が建立。

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