せやせや!関西が好っきゃねん
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浪花のビリケンさんと神戸のビリケンさん

浪花のビリケンさんと神戸のビリケンさん

まいどまいど! 大阪を代表する観光名所の一つといえば大阪・新世界にある通天閣やおまへんでっしゃろか。 通天閣の展望台には昔から愛されてきたビリケンさんが鎮座し、ぎょうさんの観光客の願い事を聞いたり、記念撮影を楽しんではります。 そんなビリケンさんでんねんけど、実は米国出身。 1908年に米国の女性芸術家フローレンス・プリッツ氏が「夢の中で見た神様」をモデルとして制作された作品が起源ともいわれてまんねん。 いつしか日本にも上陸し、神戸に初登場。 大正時代、神戸・元町の洋食店主が米国の水兵が持ち込んだものを参考にして木を彫って作ったといい、木製で右手に打ち出の小槌、左手に宝珠の珠、米俵の上に腰を掛け、背中に大判を背負うという和洋折衷の像となってまんねん。 その後、神社に奉納され、「ジャパンビリケン」と呼ばれ、人気となったとも。 神戸の兵庫区は流通革命を起こしたスーパーマーケット・ダイエー(イオンの前身)を創業した中内功氏の生誕地(サカエ薬局)。 淡路島出身の富豪・高田屋嘉兵衛のゆかりの地。 かつての時代を偲びつつ、今と昔が交錯する兵庫区を散策しまひょ!

竹尾稲荷神社
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竹尾稲荷神社

祭神は宇迦御魂大神。 創建時期など詳細は不明。 1802年、地元の有志らは京都・伏見稲荷大社の分霊を勧請、兵庫の津を一望できる場所に奉祀したのが始まり。 航海操業の安全、商売繁昌、家内安全の神として信仰を集めてきた。 境内には、「文化十年酉十一月吉日」(1813)、「文政元年寅六月吉日」(1818)と刻まれた石灯籠二基が現存。 かつて現在地より東部に鎮座していたが、1954年に遷座。 また境内には「高田屋嘉兵衛顕彰碑が建立」。 高田屋嘉兵衛とは江戸時代に活躍した廻船業者、海商。 1769年、兵庫県洲本市生まれ。

岡方倶楽部
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岡方倶楽部

大輪田泊は僧侶・行基が開いた播磨・摂津の港「摂播五泊(室生泊・兵庫県たつの市、韓泊(福泊)・姫路市、魚住泊・明石市、河尻泊、尼崎市)」の一つ。 古くは「務古の水門」「敏馬の浦」と呼ばれ、朝鮮半島と交易。 平安時代、平清盛が日宋貿易の拠点「大輪田泊」に大修築、関西から中国と九州へ向かう航路の船泊りとして築かれた。 鎌倉時代、兵庫津と呼ばれた。 室町時代、日明(勘合)貿易、朝鮮通信使の寄港地となり、江戸時代には北前船、尾州廻船など瀬戸内海運の拠点となった。 江戸時代、尼崎藩の支配下から幕府領に移った後、大阪奉行所が兵庫津を管轄のため、行政区分を三分割。

岡方倶楽部
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岡方倶楽部

1927年、岡方倶楽部は岡方惣会所の跡地に兵庫商人の社交場として建造。 設計は高松吉三郎。 鉄筋コンクリート3階建、大正時代に流行したセーセッション(分離派)と呼ばれる様式の一例。

札場の辻跡
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札場の辻跡

大輪田泊は僧侶・行基が開いた播磨・摂津の港「摂播五泊(室生泊・兵庫県たつの市、韓泊(福泊)・姫路市、魚住泊・明石市、河尻泊、尼崎市)」の一つ。 平安時代、平清盛が日宋貿易の拠点「大輪田泊」に大修築、関西から中国と九州へ向かう航路の船泊りとして築かれた。 鎌倉時代、兵庫津と呼ばれた。 江戸時代、幕府の政策や罰則事項などを庶民に伝える為、「高札」「制札」が各町の要所に建立。 庶民はその場所を「札の辻」「札場の辻」などと呼んだ。

古代大輪田泊の石椋
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古代大輪田泊の石椋

大輪田泊は僧侶・行基が開いた播磨・摂津の港「摂播五泊(室生泊・兵庫県たつの市、韓泊(福泊)・姫路市、魚住泊・明石市、河尻泊、尼崎市)」の一つ。 平安時代、平清盛が日宋貿易の拠点「大輪田泊」に大修築、関西から中国と九州へ向かう航路の船泊りとして築かれた。 当地には大輪田泊の遺構である石椋が現存。 石椋とは石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設。 古代大輪田泊の石椋(花崗岩の巨石)は、新川運河浚渫工事の際に発見された。

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