八重洲・日本橋
まいどまいど! 東京を代表する繁華街といえば八重洲・日本橋。 名は日本橋でも「にほんばし」と読み、大阪・日本橋の「にっぽんばし」とは読み方がちゃいまんねん。 また東京の日本橋は経済の中心地としても知られ、中心部には日本銀行本館、日本銀行金融研究所貨幣博物館、そして東京証券取引所などがおまして、ビジネスマンの姿が絶えへん界隈ともなってまんねん。 周辺には厳かな雰囲気を持つ三越百貨店があり、日本初の店前現銀売りや現銀掛値無し、小裂何程にても売ります(切り売り)を行った場所としても知られてまんねん。 最近では日本初のファッションショー、日本初の自動車(配達用)、デパートのバーゲンセール、第一回無形文化財日本伝統工芸展を開催。 その他、第一国立銀行跡・銀行発祥の地としても知られておまして、日本初の民間資本による銀行の発足ならびに株式会社が設立。 ここにも渋沢栄一氏の足跡を感じることができまんねん。 また、郵便局発祥の地としても知られ、郵便局を発足させた前島密氏の銅像も建立。 日本初・世界初がぎょうさん詰まった八重洲・日本橋界隈を闊歩しまひょ。
名水白木屋の井戸
近江商人大村彦太郎によって日本橋の南側に呉服店・白木屋が創業。 日本橋北側の越後屋と並ぶ人気の店舗であったとか。 1711年、2代目彦太郎は日本橋周辺の水不足を解消するため、店内に井戸を掘削。 難工事であったが、一体の観音像が出現した途端、不思議と清水が湧き出たと言う。 やがて評判となり、「白木名水」と呼ばれるようになった。 越前松平家は「白木名水」で病が治ったとして、1868年頃まで毎朝、水を汲み取っていたとか。 1999年、白木屋は東急百貨店日本橋店として営業するも閉店し、白木名水も消失。 観音像は浅草寺に安置。
漱石名作の舞台
2005年、早稲田大学は「漱石名作の舞台の碑」を建立。 夏目漱石の作品には日本橋の地が数多く登場、早稲田大学では「この地に碑を」と働きかけて実現。
日本橋ダイヤビル
江戸時代、当地を中心とする東京は水運業が盛んで付近には多くの河川と運河があり、物資の集積地となった。 1876年、江戸橋の畔に位置する土蔵倉庫には郵便汽船三菱会社の荷捌所が開設。 レンガ造りの「七つ蔵」に建て替えられ、1930年には三菱倉庫江戸橋倉庫ビルが建設。 東京都選定歴史的建造物に指定。 2014年、江戸橋倉庫ビルは18階建ての「日本橋ダイヤビルディング」に建て替え。 ただし、低層部は「江戸橋倉庫ビル」の外観が保存、地震対策として「中間階免震構造」となった。 1階は三菱倉庫と江戸橋の歴史が展示された公開スペースとなっている。
日本橋郵便局
1871年、駅逓司(現在の総務省、日本郵政、及び日本電信電話の源流の一つにあたる機関)と郵便役所(東京中央郵便局の前身)が設置され、近代郵便制度が開始。 1874年、駅逓寮庁舎(旧魚類御用屋敷)の大規模改築に着手し、木造瓦葺き漆喰仕上げ2階建ての擬洋風建築として完成。 1888年、駅逓寮庁舎が火災で焼失。 1917年、現行施設である日本橋郵便局の開局。 当地には石碑「郵便発祥の地」と、「日本近代郵便の父」として知られる前島密の像が設置。
東京証券取引所グループ
日本取引所グループの子会社で、日本最大の証券取引所。 通称、東証。 日本取引所グループのうち、企業株式を中心とする有価証券が売買される現物市場を受け持つ、金融商品取引法上の金融商品取引所。 1949年、日本で初めてとなる公的な証券取引機関である東京株式取引所が前身。 証券業者(後の証券会社、現在の金融商品取引業者)を会員とする東京証券取引所として設立。 2001年、組織変更し、東京証券取引所となった。 株式市場には上場基準の異なる市場第一部(東証一部)及び市場第二部(東証二部)並びに新興企業向けのマザーズ・JASDAQがある。
第一国立銀行跡・銀行発祥の地
1873年、渋沢栄一によって日本初の銀行「第一国立銀行」が開業。 同時に日本初の株式会社が発足。 民間資本による民間経営の株式会社であったが、国立銀行条例により発券機能等を有していた。 初代本店の建物の設計者は二代目清水喜助。 日本初となる銀行の建築を清水組(清水建設)の二代清水喜助が設計施工を手掛けた。 1896年、国立銀行条例による営業免許期間終了に伴い、一般銀行に改組し、第一銀行に改称。 1943年、太平洋戦争戦時下の国策により三井銀行と合併、帝国銀行となる。 1948年、再度、分割して第一銀行として再建。 1971年、日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行となり、現在のみずほ銀行となる。
鎧の渡し跡
江戸時代、鎧の渡しとして渡し場があった。 1872年、鎧橋が架橋、渡しは衰退。 平安時代、源頼義が奥州討伐の途中、ここで暴風逆浪に遭い、鎧を海中に投げ入れて竜神に祈りを捧げ、無事に渡ることができた。 以来、ここを鎧が淵と呼んだ。 一説には平将門が兜と鎧を納めたところとも。
電燈供給発祥の地
1887年、日本で初めてとなる火力発電所が東京電燈会社(東京電力)によって建設。 これは、工部大学校の講堂において、日本で初めての電灯が点灯してから9年後にあたる。 日本郵船会社、今村銀行、東京郵便局など周辺地域の電燈の供給を開始。 これが日本における配電線による最初の電燈供給であり、その発電設備は直立汽缶と30馬力の横置汽機を据付け、25キロワット、エジソン式 直流発電機1台を運転。 配電方式は電圧 210ボルト直流三線式。
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