東海道散歩その2 (三条大橋から新居宿)
東海道五十三次 宿場を歩く。 ファイルが大きくなったので日本橋から浜松宿までの東海道散歩その1と京都三条大橋から舞坂宿までの東海道散歩その2に分けました。
二川宿脇本陣坂本家跡
二川宿脇本陣坂本家跡
二川宿東問屋場跡
二川宿東問屋場跡
商家「駒屋」
駒屋 東駒屋は現在も味噌、醤油を販売している。 東駒屋の表はほんのり味噌や醤油の香が漂っている。それに隣接する駒屋は、江戸末期に建造された建物であり、豊橋市の有形文化財に指定されている。この駒屋の脇には二川宿を南北につなぐ古道(瀬古道)がある。
笠子神社
笠子神社
白須賀宿
白須賀宿
白須賀宿の火防
東海道白須賀の宿は、津波の難を恐れ、宝永五年(1708年)潮見坂の下から、坂上へ宿替えをした。 宿場の移転以来、津波の心配は無くなったが、今度は冬期に西風が強く、たびたび火災が発生し、しかも大火となることが多かった。これは当時、殆どの家の屋根が、わら葺きであったことにもよる。 そこでこの火事をくい止める為に、生活の知恵として工夫せられたのが火防で、人々は「火除け」とか「火除け地」とか呼んで大切にしていた。 火防の広さは、間口二間(3.6M)奥行四間半(8.2M)で、常緑樹で火に強い槙が十本くらい植えられ、元は宿内に三地点・六場所の火防があったとの事。
夏目甕麿邸跡・加納諸平生誕地の石碑
夏目甕麿は、通称嘉右エ門、萩園と号した。 酒造を業とした傍ら国学を内山真龍に学び、後、本居宣長の門に名を連ねたとの事。 加納諸平は甕麿の長子、柿園と号した。若くして紀州和歌山の本居大平の許に寄寓乞われて加納家の養子となる。後、紀州候に召されて国学を講じ国学所総裁となる。
旧東海道 白須賀宿 脇本陣跡
旧東海道 白須賀宿 脇本陣跡
袈裟切り地蔵
袈裟切り地蔵
湖西市 おんやど白須賀
湖西市 おんやど白須賀
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