ご当地グルメの「かつめし」と出会い、ドラマと映画のロケ地をめぐる加古川
まいどまいど! 皆さんは、加古川名物の「かつめし」っちゅうのをご存知でっか? かつめしとは、ご飯の上に、ビフカツ(とんかつ)が乗ったもので、なによりもタレがちゃいまんねん。 ほんでまた、加古川名物かつめしのキャラクター「かっつん」と「デミーちゃん」も登場。 それぞれの像の頭の部分は、かつめしがモチーフ。 加古川名物かつめしをPRしようと、兵庫大学短期大学部に所属する皆さん考案したキャラクターを、加古川観光協会とともに設置したという。 これは、いっぺん、食べてみな、なんぼ説明してもわかりまへんな。 また、加古川城址に代表されるように地元でもあまり知られてへん城址も各地に点在しておます。 その他、ドラマや映画のロケーションにも使用されたという日本毛織旧加古川工場の社宅があり、古くは明治時代から現存する洋風建築と和風建築も。 兵庫県加古川総合庁舎では社員食堂を自由に利用することができたり、最上階からは加古川市街地を一望することができますねん。 この界隈では、趣ある雰囲気を漂わせるなど、何かとおもろい加古川市をご案内しまひょ!
称名寺
本尊は阿弥陀如来。 開山は聖徳太子。 当地は加古川城址の一部にあたる。 当初は西光寺と号した。 鎌倉時代、雁南庄(印南郡)領主・糟屋有教が、加古川城築城当時から糟屋氏の菩提寺とした。 1358年、大洪水により流失。 1363年、有教の曾孫である保連が再建。 戦乱の火災にも遭ったが、糟屋武則が客堂を寄進した。 高野山遍照院の寛海上人が勝名院に改称。 その後、称名寺と改称。 池田輝政、奉行中村主殿介により、上田三段の寄付を受け、板倉勝重により寺領の寄付を受けた。 その後、火災に遭った。 1691年、現在の伽藍が再建。
加古川城跡説明板
1184年、糟屋有季は平氏追討の戦功により源頼朝から播磨国印南郡南条郷を与えられた。 1221年、糟屋有教によって加古川村より西方に築城。 当時、石垣上部に物見櫓が設置、城壁には矢、鉄砲の発射を目的とする大小の孔が空けられた(狭間)。 外部は塹壕を巡らせ、逆茂木を設けた。 鎌倉時代、加古川城は播磨守護所として守護代糟屋氏が在城。 1577年、羽柴秀吉らによる毛利氏討伐の軍議が開かれた。 12代城主・糟屋武則は秀吉方となって小姓頭となり、賤ヶ岳の戦いで武功(七本槍の一人)をあげ、大名に出世。 関ヶ原の戦いでは西軍に付き、領土を没収され、糟屋氏は断絶し、破却。
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