三島由紀夫作品「豊饒の海」奔馬 散歩
第2巻 奔馬
丸ビル
丸ビル5階 本多は、友人の事務所に間借りして丸ビル5階に看板をかけている。 事務所に洞院宮治典(とうのいんみやはるのり)殿下が薫の弁護士を探し出し本多を芝の御殿に招待している。 宮と本多とで薫について話が進められる。薫が清顕の転生であると信じている本多が、清顕の死に関わる宮との思いが作品に描かれている。
四谷刑務所跡に立つ刑死者慰霊塔
勲は、四谷刑務所に移されている。 権力はどんな腐敗よりも純粋を怖れる性質があった、と三島由紀夫は記す。 続けて、勲に、「(純粋性を)一寸やはらぜれば別物になってしまいます。その『一寸』が問題なのです。純粋性には、一寸ゆるめるといふことはありえません。ほんの一寸やはらげれば、それは全然別の思想になり、もはや私たちの思想ではなくなるのです」、と尋問する警部補に言わせている。 写真は、四谷刑務所跡
桜山神社にある神風連の阿部以幾子
四谷刑務所二いる勲は槙子からの手紙を受け取る。 勲は、槙子からの手紙の文面から神風連の阿部以幾子とを対比している。 三島由紀夫は、阿部以幾子の生き方に興味があったようである。 写真は、桜山神社にある阿部以幾子の墓碑。
東京地方裁判所
勲とその同志たちの第一回公判が6月25日、第二回が7月19日に行われている。 作品で本多に、「お前もそろそろ身を守る術を知るべき年齢だ。何もかも言うことによって、最後にお前は、真実が誰によっても信じてもらえない、という、人生にとってもっとも大切な教訓を知るだろう。そんな美しい目に対して、それが私が施すことのできる唯一の教育だ」、と言わせている。
皇居
昭和8年12月26日に判決が下り、勲は、釈放される。 勲は、帰宅の道すがら宮城前と明治神宮へのお礼の参拝をする。
明治神宮
勲は、帰宅の道すがら宮城前と明治神宮へのお礼の参拝をする。
伊豆山稲村で勲は自決する
勲は、帰宅後、決起を警察に直接密告したのが父であることを知る。 また、父へ教えたのが鬼頭槙子であることも伝えられる。 そして、靖献塾の経営が勲たちが命を狙っていた財界人からの金に頼っていたことの現実を知る。 勲は、政財界大物である蔵原武介が年末年始を過ごす熱海伊豆山稲村へ一人出かけ、蔵原武介を殺害する。 そして、近くの海に面した場所まで逃げて刀を腹に突き立て自害する。
ログイン