せやせや!関西が好っきゃねん
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龍馬とお龍の縁結び。錦市場と新京極商店街をめぐる

龍馬とお龍の縁結び。錦市場と新京極商店街をめぐる

まいどまいど! 今回は京都の中心地で、京都を代表する繁華街の一つ新京極を歩いていきまひょ。 ここには、にぎやかな商店街が形成され、その一角に錦天満宮。 錦天満宮は学問の神様として全国的に信仰を集める菅原道真公ゆかりの地として知られ、全国的にも知られてはりまんな。 ほんでまた、三条や寺町へと商店街が続き、 昼間ともなると、ぎょうさんの観光客でにぎわい、押すな押すなの大盛況ともなってまんねん。 また、一部の学校では修学旅行の観光ルートともなっていて、学生服姿の観光客の姿も。 さらに、近くには、ぎょうさんの博物館があり、京都を知る上での貴重な資料を保存、展示している他、織田信長と明智光秀ゆかりの本能寺、聖徳太子や小野妹子ゆかりの六角堂があるなど、歴史上の人物が続々と登場。 そんな続々でゾクゾクの京の街を皆さんも観光してみまへんか? どなたでも楽しめる甘味処もご紹介! ぜひ、休日に京都を観光しまひょ!

八坂神社御手洗井
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八坂神社御手洗井

かつて当地には祇園社御旅所社務で藤井助正の屋敷があった。 庭前に牛頭天王社を建立して毎朝、霊水を奉供していたとか。 祇園社は現在の八坂神社のことを指し、八坂神社の御旅所とした。 1568年、上洛した織田信長は、御旅所の移転後も、井戸水を格別とし、施錠した。 毎年、祇園祭の期間中のみ開錠し、諸人へ神水を施行したとか。 東裏にあった竹藪から竹2本を伐り取り、山科から丈八の松2本を持参して井前の鳥居に結び付けて七五三縄を張ったことから、現在も鳥居には七五三縄が結ばれている。 また、御手洗は現在の地名の由来とも。

紫雲山頂法寺(六角堂)
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紫雲山頂法寺(六角堂)

天台宗系単立の仏教寺院。 山号は、紫雲山。 本尊は、如意輪観音。 西国三十三所第十八番札所。 正式には頂法寺。 通称の六角堂は、本堂が平面六角形に因む。 また、華道、池坊の発祥の地としても知られている。 頂法寺の本坊・池坊が執行として経営・管理を行ってきた。 華道は、聖徳太子の命により小野妹子が入道し仏前に花を供えたことから。 池坊は、池の畔に位置し、聖徳太子が沐浴したことから。 寺主は、小野妹子。 池坊の僧は、頂法寺の住持として本尊の如意輪観音に花を供え、花の生け方に妙技を見せる。 池坊12世専慶は立花(たてばな)の名手で、池坊13世専応が宮中に招かれて花を立て、「池坊専応口伝」を表現した。

矢田地蔵尊(矢田寺)
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矢田地蔵尊(矢田寺)

西山浄土宗の寺院。 平安時代、奈良県大和郡山市の矢田寺(矢田寺)の別院として創建。 以後、遷座を繰り返し、1579年に現在地に遷座。 当寺の梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」に対して「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として信仰される。

弁慶石
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弁慶石

武蔵坊弁慶(辨慶)が愛した石で、触ると力持ちになれるという言い伝えも。 武蔵坊弁慶(辨慶)は、平安時代に活躍した僧衆(僧兵)。 弁慶は京で千本の太刀を奪おうと悲願を立て、道行く帯刀の武者を襲い、決闘して999本まで集めたが、牛若丸(源義経)と決闘して降参。 以後、源義経の家来となり、平家討伐で活躍、義経の兄・源頼朝と対立し、奥州平泉の藤原秀衡のもとにたどりついた。 藤原泰衡は頼朝による再三の圧力に屈し、義経主従を藤原基成の衣川館に襲った(衣川の戦い)。 敵勢を相手に弁慶は、堂の入口に立って薙刀を振るって孤軍奮闘するも、雨の様な敵の矢を身体に受けて立ったまま絶命、その最期は「弁慶の立往生」とも。

京都電信電話発祥の地
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京都電信電話発祥の地

1872年、明治政府は郵便事業開始に続いて全国的な電信網敷設に着手。 京都では当地に西京電信局を設置。 1877年、電話が輸入され、1888年に官営の方針を決定し、公衆電話事業を開始。 1896年、京都電話交換局が設置され、交換業務を開始。

教諭所(宣教館)跡
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教諭所(宣教館)跡

皆川淇園門下の北小路寵(竹窓)は京都の庶民教育機関となる教諭所。 「室町竹屋町上る」の町家に開校、数年後に衰退。 1830年代、天保の大飢饉で救済活動に従事した心学関係篤志家グループの援助を得、東洞院三条下る住心院地内に開講。 京都を中心とする豪商などからの基金積立てにより、所司代間部詮勝は「宣教館」の自筆額(現日彰校保存)を与えた。 授業は毎月1、6の日は経書講釈、3、8の日は心学道話と定め、午後6時から10時まで。 授業の他、飢民救助などの社会事業に参加したのが、教諭所の教育運動の特徴。 1864年、蛤門の戦いで勃発した大火で教諭所も焼失、再建。 1869年、下京四番組中の小学校となった。

中京郵便局
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中京郵便局

1871年、東京・大阪と共に設けられた郵便役所を前身とする郵便制度が発足し、西京郵便役所として開設。 1887年、京都郵便局と京都電信局が合併し、京都郵便電信局となる。 1902年、逓信省設計によるネオルネサンス様式、赤レンガ造りの外観が特徴の局舎が建設。 1903年、京都電話交換局と合併し、京都郵便局となる。 1949年、中京郵便局に改称。 1974年、改築計画が発表され、外壁を残したまま内部のみを新築する建築手法(ファサード保存)を採用し、日本で初めて改築。 建設省により公共建築百選に選定、京都市「歴史的界隈景観地区」の一部に指定、京都市登録有形文化財「景観重要建築物」に指定。

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