せやせや!関西が好っきゃねん
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千本鳥居の伏見稲荷と鳥羽伏見

千本鳥居の伏見稲荷と鳥羽伏見

まいどまいど! 大阪と京都市の伏見区とのつながりをどんどん発掘していきまひょ! 大阪市中央区で大阪城を築城し、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、伏見桃山城を築城。 かつては、徳川秀忠も来はったといい、立派な天守閣が当時を物語ってはりまんな。 また、京阪電車の伏見稲荷駅を下車後、しばらく歩いてみると見えてくのは立派な鳥居と伏見稲荷大社。 ここは、千本鳥居で有名な場所でおまして、実際に境内を歩いてみみますと、ホンマぎょうさんの鳥居に圧巻でんな。 ほんでまた伏見は歴史の舞台としても有名な場所がもう一つ。 それは鳥羽離宮公園近くにある鳥羽伏見の戦いの激戦地。 付近には平安時代から残る鳥羽離宮がおまして、かつては景勝地として有名やったそうですが、現在は公園として整備され、スポーツを楽しむ人の姿も。 その他、四季折々の景色を楽しむことのできる醍醐寺があり、特に春の桜や秋の紅葉の季節になると見物客でにぎわってまんねん。 伏見の街もなかなか、おもろおまっせ。

鳥羽離宮跡公園
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鳥羽離宮跡公園

公園として整備され、園内にはグラウンドや池などがあり、市民の憩いの場となっている。 平安時代、白河上皇・鳥羽上皇・後白河上皇により使用された院御所の跡。 別名、鳥羽殿、城南離宮。 東西1.5km、南北1kmの敷地に苑池・各殿舎・堂塔が建ち並んでいた。 現在、周辺には安楽寿院、白河天皇陵、鳥羽天皇陵、近衛天皇陵、城南宮、秋の山(築山)がある。 当地付近は鴨川と桂川の合流地点にあたり、山陽道も通る交通の要衝として発展。 平安京造営時には朱雀大路を延長し、鳥羽作道も作られ、外港としての機能を持った。

鳥羽伏見の戦い勃発の地碑
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鳥羽伏見の戦い勃発の地碑

1868年、鳥羽・伏見の戦いが勃発、後の戊辰戦争の初戦とも。 鳥羽街道を封鎖した薩摩藩兵と街道の通行を求める旧幕府軍先鋒が接触。 薩摩藩兵は京都から許可が下りるまで待つように返答するも小枝橋付近で対峙。 大目付の滝川具挙の家臣も断念、業を煮やした旧幕府軍は隊列を組んで前進を開始、強引に押し通る旨を通告。 薩摩藩側も通行を許可しない旨を回答したが、銃兵、大砲が一斉に発砲、旧幕府軍先鋒は混乱。 歩兵隊は不意の攻撃に狼狽、旧幕府軍の先鋒は潰走、見廻組など一部が踏みとどまって抗戦、後方を進行した桑名藩砲兵隊等が到着し反撃を開始。

城南宮
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城南宮

別名、方除の大社。 摂社の真幡寸神社は式内社、旧社格は府社。 祭神は、息長帯日売尊(神功皇后)、八千矛神(大国主神)、国常立尊、天照皇大神、品陀別命、別雷神、大山咋神、天児屋根命、宇気毛智神。 創建時期など詳細は不明。 平安遷都の際、国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀り、城(平安京)の南に位置することから「城南神」と呼ばれた。 白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営後、離宮の一部となり、代々の天皇や上皇の行幸があった。 京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰された。 応仁の乱などの戦乱で荒廃、江戸時代に復興。

京セラ美術館
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京セラ美術館

1998年、京セラ株式会社が設立した美術館。 施設内では、パブロ・ピカソの「銅版画347シリーズ」、日本画、洋画、彫刻のほか、ガラス工芸品、ファインセラミック「玉磁」を収蔵、公開。 また、京セラ創業60周年を記念した企業博物館の京セラファインセラミック館やショールームが併設。

頼政道跡
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頼政道跡

源頼政は平冶の乱のとき、源氏でありながら平家の平清盛に属し功績を立てた。 後白河法皇皇子の以仁王の命により、平家を打つことを企てる。 しかし、清盛に察知され園城寺(三井寺)より脱出し、宇治へと向かう。

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