豊橋公園と吉田城
まいどまいど! 出世城として名高い吉田城とその周辺を観光しまひょ! 吉田城とは愛知県豊橋市にあり、現在は豊橋公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれてまんねん。 また、公園内には美術館や運動広場もあり、スポーツを楽しむ人の姿も。 かつては大日本帝国陸軍歩兵第18連隊が当地で編成され、今も軍の関連施設の名残が各所に。 さて、そんな豊橋公園周辺には吉田宿と呼ばれる宿場町があり、江戸時代には本陣も置かれ、ぎょうさんの大名が宿泊に訪れたとか。 今では名残もおまへんけど、かつての時代を偲ばせてみるのもおすすめ。 その他、豊橋市役所の最上階にある展望フロアからは市街地を一望することができると評判で、歴史や模型も設置され、豊橋のことを詳しく知ることができまっせ。 また、昔ながらの雰囲気を今に伝える白山比咩神社 吉田天満宮にはかつて吉田新銭座が設置され、現代でいう硬貨が製造されていたとか。 その他、吉田神社は手筒花火発祥の地として知られ、境内には石碑が建立。 また、豊橋祇園祭も開催されまんねん。 歴史的にも文化的にも面白い愛知県豊橋市。 過去があって今があるその歴史に触れてみまひょ。
吉田神社
別名、牛頭天王社、吉田天王社、天王社。 祭神は素戔嗚尊、持統天皇。 702年、頓宮が設営。 1124年、疫病流行を封じるため神主の横地氏は天台宗の感神院祇園社(八坂神社)より祇園精舎の守護神であり疫病除けの神徳を持つとされる牛頭天王を勧請。 1178年、源頼朝が伊豆に配流の途上、普門寺に逗留した折、鈴木十郎元利を名代として吉田神社に参拝。 1186年、頼朝は石田次郎為久に代参させた。 1507年、吉田城築城後、牧野古白が吉田神社を城の鎮守として社殿を再建。 1548年、今川義元が御輿を神社に寄進、神輿渡御が始まった。 12頭立ての競馬も行われた。 大河内松平家の紋の入った鞍と鐙が現存。
吉田神社 (手筒花火発祥の地)
愛知県豊橋市に鎮座する吉田神社内にある碑。 日本での花火の製造がはじまったのは1500年代で、1613年に徳川家康は江戸城内で花火を見物したとか。 徳川の砲術隊はこの技術を三河岡崎に持ち帰り、三河・遠州で、手筒花火が盛んになった。 手筒花火は約1mの竹筒に火薬を詰め、それを人が抱えながら行う。 手筒花火は吹き上げ式の花火で、豊橋市関屋町の吉田神社で毎年7月に行われる祭事「豊橋祇園祭」が有名。
豊橋市公会堂
1931年、公会堂として竣工。 名古屋電燈株式会社と豊橋電気株式会社の合併に際して公会堂建設資金の寄付。 設計は中村與資平。 鉄筋コンクリート造。 外観はロマネスク様式が基調、スペイン風の円形ドームは1910年頃にアメリカ・カリフォルニア州で流行したスペイン統治時代の建築様式スパニッシュ・コロニアル・リバイバルを模倣したもの。 国の登録有形文化財に登録。
ヤマサちくわ(株) 本店
特製ちくわや豆ちくわ、かまぼこ、いわし玉、イカそふとなど魚肉練り製品を製造販売する。 特に古くから愛知県豊橋市では「ちくわ」「かまぼこ」の名産地として知られ、お土産の定番ともなっている。 1827年、創業。 江戸時代、宿場町・吉田宿(豊橋)で魚問屋を営んでいた佐藤善作氏が、金刀比羅宮(香川)を訪れた際、そこで販売されていた「ちくわ」を目にし、豊橋で製造・販売したことに始まる。 ちなみにヤマサ蒲鉾(兵庫)、ヤマサ醤油(千葉)とは同名他社。
きく宗
江戸時代末期の文政年間に創業したという老舗。 店内はテーブル席、個室など。
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