せやせや!関西が好っきゃねん
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大阪の北新地・堂島で遊びつくせ!

大阪の北新地・堂島で遊びつくせ!

まいどまいど! 西日本最大の高級飲食店街といえば、大阪市北区曽根崎新地。 通称、北新地と呼ばれ、親しまれてまんねやけど、何よりも大御所・芸能人御用達のお店が並んでまんねん。 ええ店、紹介したるさかい、わてについといで~♪ さて、北新地以外にも堂島には、ロールケーキで有名な堂島ロールがあり、雑誌、インターネットなどで紹介され、常に行列が絶えへん人気のお店もありまんねん。 美味しいと評判やさかい、いっぺん、あんさんも食べてみはったら、どないでっか~? そして、堂島には大阪証券取引所の全身にあたる堂島米会所(通称、堂島米市場)があり、大阪の恩人として知られる五代友厚氏のゆかりの地でもありまんねやで! 周辺には五代はんの功績を称える顕彰碑が建立されておます。 かつての時代を偲ばせまんなぁ。 ほんで、北新地・堂島界隈はそれだけやおまへん。 昔々、北新地には大川(旧淀川)から分流して流れる曾根崎川があり、通称、蜆川。 堂島蜆が多く取れていたことから、そう名付けられたんやとか。 そして、北新地は、国産ビール発祥の地でもありまんねん。 くいだおれ・のみだおれのまち・北新地・堂島へお越しやす!

曽根崎川跡碑
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曽根崎川跡碑

曽根崎川。 別名、蜆川。 かつて堂島川の分流として流れ、堂島蜆が多く獲れていたとか。 1685年、河村瑞賢によって河川改修し、堂島新地が拓かれ、曽根崎新地となった。

蜆楽筋
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蜆楽筋

大阪市北区にある北新地には明治時代まで河川「曽根崎川(蜆川)」が流れていた。 曾根崎川(蜆川)は堂島川から分流し、「曾根崎新地」と「堂島新地」の間を東西に約2.5km流れ、再び堂島川と合流した。 当時、曾根崎川には客や芸者を乗せた涼船が往来し、周辺には石崖造りの上に茶店が並んで華やかな花街の賑わいを見せていたという。 これらは江戸時代、浄瑠璃及び歌舞伎作者として活躍した近松門左衛門の作品にも取り上げられた。 1909年、大火事「北の大火(天満焼け)」が発生し、瓦礫の廃棄場所となって埋め立てられて1924年に川は消滅。

曾根崎恵比須社
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曾根崎恵比須社

祭神は、恵美寿神。 別名、水あげ恵比須、上がり恵比須。 恵美寿神は大阪湾から蜆川を上って現在地にたどり着いた。 2016年、創建。 特徴は鯛と徳利を持ち、笑顔。 「恵美寿」から「北新地で働く女性がいつまでも美しく幸せであってほしい」という願いが込められ、水商売では素敵な人との出会い、寿退社のことを「水あげ」と呼び、「水商売から上がれる」という意味も。 「水から」を「自ら」と掛け、勝負に勝つ、縁起がいいとか。 社は虫が寄らないとされる「ひばの木」を使用、「悪い虫がつかない」=悪い縁がつかない=「良縁萬来」。 その他、商売繁盛の神様として親しまれ、十日戎などでは多くの参拝者でにぎわう。

国産ビール発祥の地碑
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国産ビール発祥の地碑

1872年、実業家として知られる渋谷庄三郎氏によって工場が設立された。 ここで、日本人で初めてビールの製造・販売を行った場所として知られている。 銘柄は、「渋谷ビール」で、犬のマークがついたラベルが特徴。 年間約32~45キロリットルを製造し、主に外国人に販売していたと言う。 現在は、堂島麦酒醸造所が「北新地ビール」を醸造していると言う。

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