せやせや!関西が好っきゃねん
せやせや!関西が好っきゃねん

プランにスポットを追加しました

そろり・・・そろりと、曽呂利新左衛門。落語家と豊臣秀吉との意外なつながりと堺奉行所

そろり・・・そろりと、曽呂利新左衛門。落語家と豊臣秀吉との意外なつながりと堺奉行所

まいど! かつては南蛮貿易で栄え、黄金の時代を築いた大阪府堺市。 今でも自転車のものづくりでは全国トップシェア。 また、線香や傘、そして戦国時代には欠かすことのできへんかった鉄砲や刃物(刀)を中心とする鍛冶屋で発展。 一時は、東洋のベニスとの異名を持ち、「もののはじまり、なんでも堺」とも謳われた。 これまでの、それら功績が称えられ、そして、市内各所には、その名残を垣間見ることができる。 また、堺出身の偉人といえば、与謝野晶子、武野紹鴎、千利休などが挙げられるが、かつては豊臣秀吉と交流をを持った曽呂利新左衛門っちゅう人物をご存知でっか? 現在は空き名跡となっていますが、初代の落語家で性格は、達者。 豊臣秀吉に気に入られたとも言います。 そして、大阪出身といえば、陰陽師で知られる安倍晴明。 一説によると京都生まれとも言いますが、実は大阪市阿倍野区にも安倍晴明が生まれたとの説が根強くあり、久那にある神社では実際に産湯に使用されたとされる井戸も残ってまんねやね。 まあ、京都と大阪のどちらが有力なのかはわかりまへんけども、「大阪が好きやねん!」では、大阪を有力説として他プランでご紹介しています。

山本梅実生家の跡
J

山本梅実生家の跡

明治時代から昭和時代にかけて活躍した俳人。 本名は徳太郎。 幼少期、利発で温順、神童の名が高かったとか。 父と死別後、祖父と母の3人で暮らしていた。 堺市熊野尋常小学校卒業後、堺高等学校に入学し、茶道と俳諧を習う(雅号は雪窓庵梅史)。 「文庫」に新体詩を、「新星」に短歌を投稿。 1911年、地元の新聞社に就職、記者を担当し、「堺日報」を創刊。 1916年、紙上に「白鳥俳壇」という俳句欄を設け、その選句にあたる。 1917年、高浜虚子を迎えて歓迎句会を開き、関西ホトトギス派の結集の機運を作る。 以後、「同人」や「山茶花」に参加、雑誌「ホトトギス」同人となる。

堺商工会議所発祥之地
K

堺商工会議所発祥之地

主に大阪府堺市内に事業所を置く企業・団体で運営されている商工会議所。 堺の独自ブランド「堺技衆」を制定。 認証企業の連携による新商品開発の推進、認証中心から新商品開発へ向けた事業を行う。 大阪府堺市北区長曽根町に移転。

北端郷惣会所
L

北端郷惣会所

1614年と1615年に勃発した大坂の陣の戦火により町は焼失後、区画再編「元和の町割」により復興。 東西幹線の大小路(摂泉国境)で南北に分けて、さらに本郷と端郷に分けた。 北本郷・北端郷・南本郷・南端郷という4区分で、「四辻」と称した。 1693年、本郷と端郷の区分を廃し、北組102町、南組76町の南北二組制となった。 四辻では、南北両本郷とも浜筋・本町・付町・百姓町の4組、北端郷が中浜筋・山口筋・東筋の3組、南端郷が本町・付町の2組、計13の組合を形成したが、南北二組制では南北両組とも浜筋・中浜筋・大道筋・山口筋・東筋・農人町筋の6組、計12の組合に再編。

糸割符会所跡
Q

糸割符会所跡

日本において重要な輸入品は中国産の生糸(白糸)であった。 生糸の輸入に関して外国商人が値段決定の主導権を有して利益を独占、これを抑えることを目的として糸割符制度が行われ、「糸割符仲間」が組織された。 1604年、江戸幕府は京都の豪商である御用商人茶屋四郎次郎を主導者として、江戸・大坂・堺・京都・長崎の5ヶ所の商人に生糸の買い付け、配分を行う独占的輸入権と国内商人への独占的卸売権を与えた。 特に、鎖国実施などによる貿易制度の変化により、糸割賦会所、市法会所、割符会所と改称を経て、1698年に長崎県では長崎会所が設立され、後の長崎税関となった。

ご利用のブラウザでは正しく画面が表示されない、もしくは一部の機能が使えない可能性がございます。以下の推奨環境でご利用ください。

推奨環境:Google Chrome 最新版、Safari 最新版