せやせや!関西が好っきゃねん
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小田原提灯片手に小田原城下町を散策

小田原提灯片手に小田原城下町を散策

まいどまいど! 神奈川県小田原市では古くから小田原城下町として発展し、今でも小田原城の名残を随所に見ることができまんねん。 かつては難攻不落、無敵の城ともいわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えたという小田原城の最寄り駅でおます小田原駅から出発! まず改札を出て最初に目に飛び込んできたのは、童謡「お猿のかごや」にも登場した小田原提灯でんな。 かつて小田原は旅人が行き交う東海道の宿場町として発展し、携帯しやすいようにと小田原出身の職人・甚左衛門が発案したとか。 今でも小田原提灯が製造され、お土産に購入する人も。 その他、グルメでは蒲鉾が有名で蒲鉾を製造販売する老舗が立ち並ぶ小田原かまぼこ通りが名所。 ここでは、大小様々な蒲鉾が販売され、地元の居酒屋では蒲鉾を元に山葵(わさび)を添えた板わさはもちろん、小田原の名産品の一つである梅を活かした「梅みそ」をつけて食べる小田原おでんや梅を活かしたお酒のハイボールもおすすめでっせ。 その他、海にも近く、年中海水浴客や釣りを楽しむ人で賑わう一面も。 さあ、小田原で観光にグルメに楽しんでいきまひょ!

小田原御用邸跡
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小田原御用邸跡

御用邸とは、天皇、皇后両陛下をはじめ、皇族方が静養を木庭に使用する宮内庁管理の施設。 全国に10カ所以上あったが、現在は葉山町の葉山御用邸、栃木県那須町の那須御用邸、静岡県下田市須崎の須崎御用邸の3カ所。 1901年、小田原御用邸は、小田原城の二の丸御殿跡(二の丸広場)に創設された。 1919年、小田原大火と呼ばれる火災が発生。 1923年、関東大震災により廃止された。 明治時代、幼少期の明治天皇の皇女子のため、東京・麻布の殿舎を移築してつくられたという鎌倉御用邸は、関東大震災でにより、大きな被害を受け、廃止となった。

小田原宿なりわい交流館
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小田原宿なりわい交流館

1932年、旧網問屋として建設。 2001年、再整備して憩いの場(お休み処、市民活動の発表の場)として開館した。 2階のイベントスペースでは、地場産業の情報発信、生涯学習、文化活動などの各種イベント会場として、利用されている。

こめこめこ かまぼこ通り店
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こめこめこ かまぼこ通り店

小田原かまぼこ発祥の地。 かつて船方村と呼ばれ、漁業が盛んで漁師町としての賑わいを見せていた。 現在、かまぼこの本店が軒を構えている他、干物屋、鰹節屋、料亭、飲食店、和菓子屋などがある。 明治時代、二見初右衛門、山田小兵衛、山田又市という3つの魚市場があった。 以後、両山田が合併して小田原魚市場となり、大正時代に合併して小田原魚市場が誕生した。

旧小田原魚市場跡
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旧小田原魚市場跡

明治時代、二見初右衛門、山田小兵衛、山田又市という3つの魚市場があった。 以後、両山田が合併して小田原魚市場となり、大正時代に合併して小田原魚市場が誕生した。 小田原魚市場はその後、早川漁港に移転した。 かつて、築港と呼ばれていた。 大漁に恵まれると、網元から漁師に鮮やかな赤や青色などの万祝着が贈られた。 毎年8月1日、これを着、大山、成田山、道了尊などにお参りをし、船の安全と大漁を祈願した。

元祖小田原かまぼこ屋 鱗吉
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元祖小田原かまぼこ屋 鱗吉

1781年、創業。 ここは、「かまぼこ発祥の店」として知られ、お歳暮ギフト商品、送料無料商品、小田原板かま、伊達巻、さつま揚げなどを販売する。

小田原 籠清 本店
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小田原 籠清 本店

1814年、旧町名「千度小路(船頭小路)」で創業。 軒先に掲げた「加古淸」という看板は欅の厚板で、三井物産の創設者の益田孝(鈍翁)の筆によるもの。 200年代、神功皇后による三韓征伐の際、すりつぶした魚の身を鉾の先につけ、焼いて食したのがはじまり。 「蒲鉾」という名の由来は、形状が植物の穂に似ていたことから。 1432年、小田原城主が大久保忠信となったころ、小田原で蒲鉾づくりが盛んとなった。 獲される魚の評判を聞き、日本橋の蒲鉾職人などが小田原に移り住んだとも。 新鮮な魚を箱根に供給することが困難であったため、保存性のよい蒲鉾が誕生した。

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