古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
九州
次に筑紫の島(九州)をお生みになりました。 関門海峡越しに北九州を眺めた写真。
壱岐島
次に壹岐の島をお生みになりました。この島はまたの名を天一つ柱といいます。 写真は、一支国(いきこく)遺跡にて。
対馬
次に對馬をお生みになりました。またの名をアメノサデヨリ姫といいます。
佐渡島
次に佐渡の島をお生みになりました。 写真は、フェリーからの眺め。
富士山
次に大倭豐秋津島(本州)をお生みになりました。またの名をアマツミソラトヨアキツネワケといいます。この八つの島がまず生まれたので大八島國というのです。 写真は、朝霧高原からの眺め。
宮浦
それからお還りになつた時に吉備の兒島をお生みになりました。またの名をタケヒガタワケといいます。 小豆島行きのフェリーが、ここ新岡山港フェリー乗り場から出ています。 対岸が吉備の兒島。かつては島でしたが今は埋め立てられ半島になっています。 小豆島の土庄港から新岡山港へのフェリーに乗りました。
小豆島
次に小豆島をお生みになりました。またの名をオホノデ姫といいます。 1969年の秋に小豆島へ渡ったことがあります。 半世紀ぶりに小豆島の土庄港から新岡山港へのフェリーに乗りました。
屋代島(周防大島)
次に大島をお生みになりました。またの名をオホタマルワケといいます。 写真は、遠崎港から周防大島と大島大橋を遠望しています。
姫島
次に女島をお生みになりました。またの名を天一つ根といいます。 写真は、島に向かうフェリーから眺めた姫島です。
生月島
次にチカの島をお生みになりました。またの名をアメノオシヲといいます。 チカの島とは、平戸島、生月島そして五島列島を含めているとの話があります。 写真は、生月島がわから生月島大橋越しに平戸島を眺める。
男女群島
次に兩兒の島をお生みになりました。またの名をアメフタヤといいます。 吉備の兒島からフタヤの島まで合わせて六島です。 写真は、兩兒の島(男女群島)写真は、by Google
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