せやせや!関西が好っきゃねん
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東京駅周辺を一周する日帰り旅

東京駅周辺を一周する日帰り旅

まいどまいど! 日本の中心地っちゅうたら、やっぱり、世界の東京でっしゃろか。 まわりの多くは、関東弁。 まちには関東弁であふれかえってまんねやけど、やっぱり、方言っちゅうもんが一番、よろしいでんな。 さて、駅構内にあるエスカレータも関西(大阪や兵庫など)とは違って、左側に立ち、時々は戸惑いながらも、珍しい別世界の日常がそこにはおました。 東京駅構内にはぎょうさんのお店が立ち並んでおまして、見どころもたくさん。 東京駅構内には様々な飲食店、雑貨店、お土産専門店があり、地下街にはラーメンストリートやキャラクターストリート、周辺の大丸百貨店や八重洲地下街へと接続。 1日ではすべてはまわることはできへんかもしれまへんけども、それだけのおもろさが詰まってまんねん。 ほんでまた、東京の歴史は、大阪を中心とする関西が動かしてきたっちゅうても、過言やおまへん。 でも、そんな東京にも楽しみがいっぱい。 頭の片隅に関西を思いつつ、東京観光を満喫しまひょ!

正二位勲一等子爵井上勝君像
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正二位勲一等子爵井上勝君像

江戸時代から明治時代にかけて活躍した武士の一人、官僚として活躍、鉄道発展に寄与。 別名、日本の鉄道の父。 1843年、山口県萩市の長州藩士・井上勝行の3男。 幼名、卯八。 通称、弥吉。 1853年、江戸幕府より黒船来航に伴う相模警備に命令され、沿岸警備にあたる父と共に神奈川県横須賀市に移住。 1859年、藩命で江戸の蕃書調所に入学、航海術等を学ぶ。 藩校明倫館で勉強、開明派で蘭学重視の父に従い西洋学を学ぶ。 井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、と並ぶ長州五傑の1人。 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)にて鉱山技術・鉄道技術などを学ぶ。

日本工業倶楽部会館
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日本工業倶楽部会館

当地は伝奏屋敷・評定所があった。 江戸幕府の最高意思決定機関を設置、老中や三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)などが参集、国内の懸案事項を審議、裁決する役割を担った。 伝奏屋敷は宿泊所とも。 1917年、当時の有力実業家らが「工業家が力を合わせて、わが国の工業を発展させる」を目的に法人を創立。 初代会長は豊川良平三菱合資会社頭取。 初代理事長は団琢磨三井合名会社理事長。 重要経済問題、労働問題などに関して調査活動及び政府への建議を行い、経済団体としての機能を果たした。

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