せやせや!関西が好っきゃねん
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日本の国技・大相撲興行とともに歩んできた墨田区

日本の国技・大相撲興行とともに歩んできた墨田区

まいどまいど! 日本の国技を代表する相撲興行のおひざ元として知られる東京都墨田区横網。 地名もどことなく相撲を連想させられるような横網ともなってまんねやけど、ここでは両国国技館だけやく、ぎょうさんの力士が所属する相撲部屋が各地に点在しているなど、古くから相撲と歩んできた歴史があり、今日もぎょうさんの相撲ファンが当地を訪れている。 ここの最寄は両国駅で、駅を出ると、両国国技館で活躍する力士を模した像が国技館通りに建立され、来場者を楽しませてくれる。 ほんでまた両国という場所は相撲との関わりが深いだけでなく、置き去りを意味する「置いてけぼり」の語源の発祥とされる本所七不思議と呼ばれる奇談・怪談の1つである「両国物語 置いてけ堀・御竹蔵跡」も語り継がれてはりまんな。 さらに、今、日本国民だけでなく世界的に愛されてきた寿司という料理も実は領国が発祥の地とされ、ワサビを使用した握り寿司を考案した与兵衛鮨発祥の地の碑も建立されてまんねん。 っちゅうことで、両国は相撲あり、置いてけ堀あり、寿司あり・・・で、まさに日本文化の原点。 そんな両国をとことん散策し、日本の原点を探しにお出かけしまひょ!

出羽海部屋
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出羽海部屋

日本相撲協会に所属している相撲部屋の一つ。 現存する部屋としては横綱を最多の9人を育て、協会理事長を3人が務めるなど相撲界随一の名門。 当地は出羽海一門の本家で13の相撲部屋から構成。 初代出羽ノ海は寛政の前頭筆頭・出羽海運右エ門。 出羽ノ海部屋を設立し、大関・市野上浅右エ門らを育てた。 1917年、部屋所属の力士が10場所連続で優勝。 1922年、5代が逝去、6代は「ノ」を取り除き、出羽海となる。 1931年、番付の西方の20人全てが出羽海部屋の幕内力士で占め、隆盛を極めた。

一之橋
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一之橋

東京都墨田区内を流れる隅田川に架かる橋の一つ。 江戸時代、当地は低湿地であったため、本所の開発を計画した。 洪水の被害を最小限に抑えるため、排水路を碁盤目状に開削し、掘り出した土は陸地の補強、嵩上げに利用した。 1659年、堅川の開削と同時に架けられ、隅田川から入って一ツ目の橋という意で命名された。 堅川の両岸には多くの商家や土蔵などが立ち並び、多くの人で賑わった。 また、赤穂浪士が泉岳寺に引き揚げる際に最初に渡った橋であるとか。

春日野部屋
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春日野部屋

日本相撲協会に所属している相撲部屋の一つ。 1925年、出羽海部屋所属の横綱・栃木山が引退。 自身の養父である行司・木村宗四郎が所有する年寄名跡を継承して年寄・8代春日野を襲名。 出羽海部屋から独立し、春日野部屋を創設した。 開祖の栃木山に因み、四股名に「栃」と名乗る力士が多い。 2017年、高砂部屋所属の関取が1878年以来138年ぶりに不在となって以降、関取が最多となっている。 2018年、栃ノ心が幕内最高優勝し、46年ぶりの優勝力士が誕生した。

与兵衛鮨発祥の地
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与兵衛鮨発祥の地

1824年、華屋 與兵衛によって江戸三鮨のうちの一つ「与兵衛寿司」が開業した。 1799年、東京都中央区生まれ。 別名、小泉與兵衛、花屋與兵衛。 幼名、弥助。 ワサビを使い、現在の寿司の原型となる握り寿司を考案した。

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