駿河城下を散策する徳川家康と竹千代の足跡
まいどおおきに! 今回は日本の歴史上、欠かすことのできへん徳川家康公の住んでいたまちを取り上げていきまひょ。 今や徳川家康公っちゅうたら、江戸城を開城させ、以後も長らく江戸時代を築いたという印象が強いかも知れま経んけども、実は当地にもゆかりがおまして、市内には今川氏と徳川家康公が居城とした駿河城、静岡浅間神社があるなど、見どころが満載。 特に駿河城ではこれまでぎょうさんのイベントが開催され、現在は、市民の交流の場ともなってまんな。 また、場内には徳川家康公ゆかりの鷹狩り姿の像や手植えのミカンが今も育てられているなど、約400年の時を超えて、現代人との距離が少し縮まったようにも感じる場所やおまへんやろか。 今回は、そんな徳川家康公の過ごした葵区内を主に取り上げていきまっせ! ほな、まいどおおきに。
静岡浅間通り商店街
静岡浅間神社の門前町として発展してきた。 現在は飲食店や雑貨店などを中心に、浅間神社から駿府城付近までの約600mの間で軒を連ねている。 また、山田長政(仁左衛門)は馬場町の生まれとして知られている。 山田長政とは江戸時代、シャム(現在のタイ)の日本人町など東南アジアで津田又左右衛門筆頭の日本人傭兵隊に加わった。 アユタヤ郊外の日本人町の頭領となり、アユタヤ国王より高官に任ぜられ、王女と結婚したとか。
静岡浅間神社
通称、おせんげんさま。 静岡浅間神社とは総称で、神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社から構成。 大歳御祖神社は、賎機山の麓に、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社が鎮座。 境内社は、八千戈神社、八千戈神社、少彦名神社、玉鉾神社など。 祭神は、駿河国開拓の祖神の大己貴命、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より勧請された木之花咲耶姫命、倉稲魂神・大年神の母神の大歳御祖命など。
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