せやせや!関西が好っきゃねん
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プランにスポットを追加しました

まいどまいど!
大阪の商業の中心地で全国的にも有名な御堂筋を散策していきまひょ。
御堂筋を北と南にわけ、今回は北御堂とその周辺のご案内だっせ。
ほな、まいどおおきに~!

商業の中心地・御堂筋を楽しむ(北編)

商業の中心地・御堂筋を楽しむ(北編)

まいど! 大阪の政治と経済を担う大動脈ともいわれ、かっこええ高層ビルが建ち並ぶ御堂筋。 場所は大阪梅田駅前近辺を始点に船場・本町を経由して、難波を終点に約4km。 大阪国際女子マラソンや大阪マラソンなどの大規模なイベントで使用され、全国的に知られてますのとちゃいますやろか。 京都では一般的に、道の名称を「通」としているが、大阪・神戸では、南北に通る道を「筋」、東西に通る道を「通」とする場合がほとんど。 たとえば、京都では東西南北に関係なく四条通、烏丸通としているが、大阪では南北に通る道では御堂筋、堺筋、谷町筋のように「筋」を、東西に通る道では曽根崎通、中央大通、千日前通として古くからつこてはります。 そんな京都と大阪の文化の違いを知りつつ、御堂筋、中央大通など筋と通の違いを見ながら散策するとなお一層、楽しめることでしょう。 また御堂筋、堺筋界隈では江戸時代より「あきんど」のまちとして栄え、大阪証券取引所、大阪商工会議所が。 庶民の楽しみの一つとして文楽が生まれた。 その他、今に残る塾(学校)跡や商店跡、明治・大正・昭和に流行した西洋風の近代建築物など、北御堂を中心に楽しみまひょ!

銅座の跡
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銅座の跡

1766年、銅集めの役所として設立された。 当時、輸出銅は全て、大坂で精錬されたと言う。

旧鴻池家本宅跡
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旧鴻池家本宅跡

戦国時代、武将だった山中鹿之介氏の子孫が鴻池家であると伝えられる。 戦国時代末期、鴻池村(現在の兵庫県伊丹市)で酒造業を営む。 江戸時代初期、清酒を製造する技法を確立させ、店主を鴻池正成氏として大阪に支店を出した。 後に、鴻池善右衛門氏は、両替業で成功し、豪商となる。 1863年、新撰組が鴻池家から借り入れたのだとか。 1864年、鴻池家らが中心となって、新選組や会津藩に出資をしたのだとか。

天五に平五・十兵衛横町碑
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天五に平五・十兵衛横町碑

江戸時代、経済制度の発展に伴い、銀行のような業務をこなす必要があった。 1628年、両替商を天王寺屋五兵衛が始めた。 1670年、幕府により十人両替が誕生した。 かつて、この地には、最大手の天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛の2軒が、道を挟んで店を構えていた。 このことから天五に平五と呼ばれた。

梅川忠兵衛 ゆかりの淡路町
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梅川忠兵衛 ゆかりの淡路町

碑が建立された地域である淡路町はかつて近松門左衛門が描いた浄瑠璃の作品「冥途の飛脚」の舞台となった。 近松門左衛門の作品「冥途の飛脚」は、登場する遊女の梅川と養子となった飛脚問屋で亀屋の忠兵衛が過ごしたという実話を題材にしたという。 「冥途の飛脚」は近松門左衛門の代表作「曽根崎心中」「心中天の網島」と並ぶ3大傑作とも評され、石碑が建立された。

泊園書院跡
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泊園書院跡

江戸時代、中井一族による懐徳堂や緒方洪庵の適塾と並び称された私塾である。 1825年、藤沢とうがいが開いたもので、約140年間、黄鵠や黄坡ら4代が続いた。 その間に蓄積された約2万冊の蔵書は、現在、関西大学に泊園文庫として保存されている。

北組惣会所
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北組惣会所

江戸時代、大阪における惣年寄の会所として設けられた現在の事務所。 惣代は惣会所に住んでいたと言う。

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