標高約48.9mの虎伏山に建造された梯郭式平山城。
1585年、豊臣秀吉の弟・秀長は紀州征伐の副将として参陣。
豊臣秀吉は当地に築城を命じ、普請奉行に藤堂高虎、補佐役に羽田正親、横浜良慶を任じ、完成。
重晴隠居に伴い孫の一晴が城代を継いだ。
関ヶ原の戦い後、東軍に属した桑山一晴は紀伊和歌山に与えられたが、大和新庄藩に転封となった。
同じく東軍に属した浅野幸長が軍功により与えられ、紀州藩主となり入城。
浅野氏は改易となった福島正則の後、広島藩に加増転封となった。
徳川家康の十男・頼宣が入城し、南海の鎮となる御三家の紀州徳川家が成立。
頼宣は兄の2代将軍徳川秀忠より銀5千貫を受領。