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「かすかべ」という地名は1300年代、新田義貞の家臣・春日部氏が当地を領地としたことに由来。 1590年、小田原征伐後、徳川家康は関東移封となり江戸城に入城、五街道の整備を進めた。 1616年、日光街道及び奥州街道の宿駅「粕壁宿」で江戸・日本橋から数えて4番目、岩槻宿と関宿とを結ぶ宿場町として開設。 当時は、本陣、脇本陣、旅籠、問屋場などがあり、日光街道23宿のうち6番目の規模であった。 街道沿いには青物店、穀物店、精米店、精麦店、飲食店等が軒を連ね、4と9のつく日には六斎市が開かれた。
江戸時代以降、「かすかべ」という表記には糟壁、糟ヶ辺、粕壁、糟壁と使用されていた。
2018年10月12日
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「かすかべ」という地名は1300年代、新田義貞の家臣・春日部氏が当地を領地としたことに由来。
1590年、小田原征伐後、徳川家康は関東移封となり江戸城に入城、五街道の整備を進めた。
1616年、日光街道及び奥州街道の宿駅「粕壁宿」で江戸・日本橋から数えて4番目、岩槻宿と関宿とを結ぶ宿場町として開設。
当時は、本陣、脇本陣、旅籠、問屋場などがあり、日光街道23宿のうち6番目の規模であった。
街道沿いには青物店、穀物店、精米店、精麦店、飲食店等が軒を連ね、4と9のつく日には六斎市が開かれた。
江戸時代以降、「かすかべ」という表記には糟壁、糟ヶ辺、粕壁、糟壁と使用されていた。
2018年10月12日