お気に入りに追加 お気に入りを外す
西天満若松浜公園内にある碑。 目の前を大川から分流した堂島川が流れている。 江戸時代、大阪市・中之島周辺を中心として、蔵屋敷が点在していた。 川沿いの蔵屋敷には直接、船で多量の物産を搬入するため、屋敷内には御船入という入堀を設けていたと言う。 そのため、川沿いの道路は入堀への水路をまたぐために橋が必要であり、この橋を船入橋と総称した。 橋長は、積荷を高く盛った船が通航しやすいように反りの大きな橋であった。 蔵屋敷は明治維新後、全て姿を消した。 一部の船入橋は所有各藩の名をとめ、高松橋、徳島橋、熊本橋などとして残っていた。
2018年8月9日
2024年4月3日
営業中24時間営業
スポット情報に誤りがある場合や、移転・閉店している場合は、こちらのフォームよりご報告いただけると幸いです。
ご報告いただきありがとうございます。 お送りいただいた内容は、スタッフが確認次第なるべく早く対応いたします。
送信に失敗しました。 お手数ですが、時間をおいて再度お試しください。
ログイン
Facebookでログイン
パスワードを忘れた方は こちら
初めての方は ユーザー登録 をしてください
ご利用のブラウザでは正しく画面が表示されない、もしくは一部の機能が使えない可能性がございます。以下の推奨環境でご利用ください。
推奨環境:Google Chrome 最新版、Safari 最新版
西天満若松浜公園内にある碑。
目の前を大川から分流した堂島川が流れている。
江戸時代、大阪市・中之島周辺を中心として、蔵屋敷が点在していた。
川沿いの蔵屋敷には直接、船で多量の物産を搬入するため、屋敷内には御船入という入堀を設けていたと言う。
そのため、川沿いの道路は入堀への水路をまたぐために橋が必要であり、この橋を船入橋と総称した。
橋長は、積荷を高く盛った船が通航しやすいように反りの大きな橋であった。
蔵屋敷は明治維新後、全て姿を消した。
一部の船入橋は所有各藩の名をとめ、高松橋、徳島橋、熊本橋などとして残っていた。
2018年8月9日
2024年4月3日