
新旧漂う西天満界隈をぶらぶら
大阪新旧漂う西天満界隈をぶらぶら
まいどまいど! 西日本最大のターミナル駅として知られる大阪・梅田駅。 一日に200万人が利用するという大阪・梅田駅界隈では、高層ビルが乱立し、日本を代表するビジネス街となってはりまんな。 せやけど、大阪・梅田駅界隈を離れると、おもろそうなお店や神社、ほんで、近代的やねんけど、昔ながらの雰囲気が漂う商店街が見えてきますねん。 西天満に鎮座する堀川戎神社は、商売繁盛の神様「戎様」、通称、「えべっさん」を祭神として、十日戎(毎年1月9日、10日、11日)になると、浪速区の今宮戎神社、福島区の野田戎神社などとともに笹を持った参拝客でにぎわおうてはりまんな。 関西の戎様は、「えべっさん」という愛称で親しまれ、古くから信仰を集めてまんねん。 その他、未来的な高層ビルが乱立する一方、大正時代から昭和時代にかけて流行したモダニズム建築(近代建築物)の雰囲気を残した曾根崎変電所や大江ビル、宇治電ビルなどが点在してまんねん。 その他、江戸時代には天下の台所として栄えた場所としても知られ、当時の蔵屋敷が立っていたとされる場所をめぐってみたり、昔ながらの神社をめぐってみることにしまひょ!
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淀川から分流した大川は大阪市内を南に流れる途中、寝屋川や平野川と合流した後、天神橋付近で堂島川と土佐堀川に分流する。 その堂島川沿いにある公園である。 この公園からは、昔ながらの水晶橋や鉾流橋を眺めることができるほか、大阪市役所や中央公会堂、東洋陶磁美術館などが見える。 阪神高速の下に位置するため、天候に左右されないなどの利点が挙げられる。
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江戸時代、大阪の前身にあたる大坂は天下の台所として栄え、全国から多くの物資が大坂の中心地にあたる中之島や船場に運び込まれた。 当時、周辺は全国各地の藩が設置した蔵屋敷が立ち並び、取引が盛んに行われた。 当地は、佐賀鍋島藩の蔵屋敷跡として知られていて、近年の発掘調査では水門や石垣、船入、屋形、米蔵、そして、磁器の鍋島焼も出土し、なかには、入れ歯も発見されたとか。
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西天満若松浜公園内にある碑。 目の前を大川から分流した堂島川が流れている。 江戸時代、大阪市・中之島周辺を中心として、蔵屋敷が点在していた。 川沿いの蔵屋敷には直接、船で多量の物産を搬入するため、屋敷内には御船入という入堀を設けていたと言う。 そのため、川沿いの道路は入堀への水路をまたぐために橋が必要であり、この橋を船入橋と総称した。 橋長は、積荷を高く盛った船が通航しやすいように反りの大きな橋であった。 蔵屋敷は明治維新後、全て姿を消した。 一部の船入橋は所有各藩の名をとめ、高松橋、徳島橋、熊本橋などとして残っていた。
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1936年、大阪市交通局曽根崎変電所として竣工した。 旧電気局時代、電力会社より受電した電気を交通局の各変電所にて降圧、直流変換して使用していたと言う。
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1921年、中央電気倶楽部の葛野壮一郎によって設計された。 現在は、事務所などに使用されている。
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蔵屋敷跡である。 高等裁判所付近に「肥前佐賀県小城藩蔵屋敷跡」の碑が建っている。 小城藩は鍋島藩の支藩で幕末の騒乱の時は本藩と従い、維新の鴻業に参加したと言う。
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約1km続く老松通りには、古美術商や画廊など約90店舗が立ち並ぶ。 古くは、大阪天満宮の表参道として発達した。 近世では、大塩平八郎、井原西鶴、西山宗因などがこの付近に住んでいたと言う。 大正時代、旅館や食堂、映画館などが建ち並んでいた。 昭和時代、古美術店が立ち並んでいた。 また、毎年、春と秋に骨董祭りを開催している。
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宇治川電気は、かつて存在していた電力会社で関西電力の前身となる。 略称は宇治電と呼ばれ、五大電力の一つに数えられていた。 1923年、中之島にあるダイビルは、大阪ビルヂングとして建設された。 1937年、大阪市北区西天満に宇治電ビルが竣工した。 地上9階、地下1階建。 日本初のオール電化オフィスビル。 1965年、「新宇治電ビル」を竣工させて移転を完了し、現在は、完全閉鎖されている。
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1997年に創業したカレーライスチェーン。 商いの中心として知られる大阪・船場に1号店を出店し、その後、大阪市内を中心に展開するとか。 イカスミを使用した黒色のカレーソースが特徴で「カレー」と呼ばず「カリー」で統一されている。
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牛すじねぎカリー
元祖で一番人気の「牛すじねぎカリー」を味わってみることにした。 たっぷりのネギが入ってて、ボリューム満点。 イカスミを使用しているため、見た目は、黒っぽいが、味はほとよい辛さ。 イカスミの味は気にすることもなく、福神漬け、ラッキョウを添えながら、食が進む。 トッピングでは、ライスの多さや辛さを選択でき、生玉子、温泉玉子、牛すじ、ビーフ、トンカツ、チキンカツの他、野菜、チーズも追加が可能。
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商売繁盛の神様「堀川のえべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日に十日戎が開催される。 蛭児大神(蛭子大神)少彦名命、天太玉命を祀る。 651年、少彦名命(淡島明神)、天太玉命を配祀した。 1159年、丹波国何鹿郡山家に遷座した後、現在地に遷座。 境内にある榎木神社の本殿は、地車の形をしている。 通称、地車稲荷と呼ばれる。 句句廼知神と宇賀御魂神を祀る。 1839年、榎木神社を創建し、堀川戎神社末社の稲生神社の分霊を合祀した。 かつての榎の大木の根元には吉兵衛という老狸が住んでおり、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていたと伝えられる。
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読売新聞大阪本社は、近畿地方、中国地方(山口県は除く)、四国地方を中心とする地域向けに印刷・発行する地域本社。 1952年、「大阪讀賣新聞」の第一号を発刊。 東京・読売新聞社(読売新聞東京本社)とは別の会社、別の法人による「大阪讀賣新聞社」によって「讀賣新聞」が関西に進出し、全国紙としての体制を整えた。 1953年、題字から「大阪」を外し、「讀賣新聞」の題号で発行。 1957年、大阪にも読売系列のテレビ局を持つことが必要と判断し、新大阪テレビ放送が設立され、現在の讀賣テレビ放送となった。 1971年、「読売新聞大阪本社」の呼称を使用。 1970年代、大阪管内の全国紙では発行部数1位を記録した。
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読売新聞大阪本社は、近畿地方、中国地方(山口県は除く)、四国地方を中心とする地域向けに印刷・発行する地域本社。 1952年、「大阪讀賣新聞」の第一号を発刊。 東京・読売新聞社(読売新聞東京本社)とは別の会社、別の法人による「大阪讀賣新聞社」によって「讀賣新聞」が関西に進出し、全国紙としての体制を整えた。 1953年、題字から「大阪」を外し、「讀賣新聞」の題号で発行。 1971年、「読売新聞大阪本社」の呼称を使用。 読売新聞大阪本社は移転し、現在、スーパーマーケットとして営業する。
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嵯峨源氏の祖で左大臣・大納言の源融ゆかりの寺として知られている。 伽藍を構えた真言宗の寺院である。 境内には、本堂、大師堂、不動堂、淀殿の墓所、白龍大社がある。 また、縁結びの神として知られ、女性は白龍大神、男性は龍王大神にお参りするとよいとされている。
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822年、嵯峨天皇が当地に訪れた。 その際、現在の場所に御殿を構え一宿された 843年、嵯峨天皇をお祀りする社殿を建立。当時、「神野太神宮」と称した。 901年、菅原道眞はここで一時の休息をした。 993年、神野太神宮と梅塚天満宮を合祀し、「北野天神社」と称するようになった。 中世、幾度も兵火に遭うことがあったが、一夜にして七本の松が生い出て、その奇瑞を以って社殿を復興するなどの伝えがある。 その後、梅塚天満宮は茶屋町に移った。