舎利尊勝寺
大阪府大阪市生野区舎利寺1丁目2-36聖徳太子により創建。
この地は、生野長者の旧地と言われた。
長者には、言葉の不自由な子が生まれた。
聖徳太子は、その原因を前世で仏舎利3顆を与えたためと云い、それを吐くことを命じた。
長者の子供は3つの仏舎利を吐き出し、言葉は普通に話せるようになったという。
太子は法隆寺、四天王寺、残った1つを自筆の御影と共にの長者に付与された。
長者は、屋敷内に堂を建て、仏舎利を奉ったのが、舎利尊勝寺の始まりと言われる。
1547年、両細川軍がこの付近で対決した「舎利寺合戦」で荒廃。
1672年、徳川家綱が黄檗山万福寺の2代木庵に当地を与え、復興させた。
1945年、全焼、再建した。