徹心寺
兵庫県神崎郡神河町福本402福本藩主池田政直によって開基。
政直は父・輝澄(池田輝政四男)の法号「大雲印殿1関徹心大居士」から山号を一関山、寺号を徹心寺とした。
本堂は入母屋造りの茅葺き屋根で、山門は一間薬医門茅葺。
福本藩は御家騒動で改易流罪となって鳥取に流された宍粟山崎藩主松平輝澄の系譜で、嫡男政直が罪を許され、御家再興を遂げる。
外様ながら家康公の血脈を継承する縁で松平姓を与えられた。
墓所には、立藩から廃藩置県までの間、治めた代々藩主の石造五輪塔があり初代松平政直公・二代政武・三代政森・四代喜以・五代喜生と並び、手前列奥の六代喜長に続き、七代喜通公で明治維新となって新政府の命令で元の池田姓に戻り八代徳潤公に継承。