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江戸時代、室津は姫路藩の飛び地にあたり、参勤交代や朝鮮通信使、オランダ公使などの江戸参府の際の上陸点となっていた。 姫路藩は番所に約20名の兵を置き、警護にあたっていた。 10本の槍、5本の薙刀があり、港を掃射できる砲台があったとも。 また大阪城の石と書かれた碑と巨石が展示、保存されている。 豊臣秀吉は大坂城築城の際、石垣に使用する石を運搬していたが、西国の大名が「室の泊」で海中に落としてしまった。 しばらく海底に沈んだままであったが1972年の室津漁港修築工事の際に引き揚げられた。
2023年1月4日
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江戸時代、室津は姫路藩の飛び地にあたり、参勤交代や朝鮮通信使、オランダ公使などの江戸参府の際の上陸点となっていた。
姫路藩は番所に約20名の兵を置き、警護にあたっていた。
10本の槍、5本の薙刀があり、港を掃射できる砲台があったとも。
また大阪城の石と書かれた碑と巨石が展示、保存されている。
豊臣秀吉は大坂城築城の際、石垣に使用する石を運搬していたが、西国の大名が「室の泊」で海中に落としてしまった。
しばらく海底に沈んだままであったが1972年の室津漁港修築工事の際に引き揚げられた。
2023年1月4日
2023年1月4日