みつから眺める瀬戸内海と室津のまち並み
兵庫みつから眺める瀬戸内海と室津のまち並み
まいどまいど! 手延べ素麺「揖保乃糸」の名産地の一つとして知られる兵庫県たつの市。 市内中心部には「セイバン・天使の羽」で知られるランドセルの主力工場がある他、龍野城とその城下町、童謡「赤とんぼ」のふるさとであったりと何かと話題がぎょうさんおます。 せやけど、市内中心部を外れれば瀬戸内海に面した自然豊かな場所が見えてくる。 ドライブ途中におすすめなのが「道の駅みつ」。 国道250号線沿いありツーリングやサイクリング途中に立ち寄る人もぎょうさんいてはります。 ここでは、展望台、レストラン、売店などがおまっせ。 近くには御津自然観察公園、萬景園。 梅を見物する公園として整備され、日本、中華人民共和国、大韓民国・台湾などの東アジア約315種1250本の梅が植樹されてまんねん。 また室津の港は古くから栄え、1600年代、四国や九州から訪れた大名は大坂の途中にあたる室津で乗下船するようになった。 室津には大名が宿泊する本陣が6軒あり、薩摩屋では島津、毛利、牧野、内藤、有馬、大村の諸藩の本陣を勤めたとか。 今も新鮮な魚介類をはじめ、冬には牡蠣が食べごろを迎えるなど、人気の名所となってまんねん。
国道250号線沿いに位置する道の駅。 ドライブ、ツーリング、サイクリング途中に気軽に立ち寄れるスポット。 ここでは、展望台、レストラン、お土産、トイレなど有り。
展望台
展望台からは瀬戸内海を一望できる。
御津自然観察公園、萬景園。 1993年、梅を見物する公園。 ここでは、日本、中華人民共和国、大韓民国・台湾などの東アジア約315種1250本の梅が植樹。 中国風の展望施設は、中国人によって建設された。
たつの市をはじめとする地域では牡蠣の名産地として知られ、活カキ自動販売機が設置されている。 自動販売機の横にはロッカーが置かれ、自動販売機内に並んでいる鍵を購入後、ロッカーのカギを開け、牡蠣を受け取る仕組み。
1600年代、四国や九州から訪れた大名は大坂の途中にあたる室津で乗下船するようになった。 他の港は潮流・風・水深不足などを理由に衰退。 室津には大名が宿泊する本陣が紀伊国屋源三兵衛、薩摩屋孫九郎、筑前屋彦太夫、肥前屋四郎兵衛、肥後屋左太夫、一津屋三弥左衛門の6軒あった。 薩摩屋では島津、毛利、牧野、内藤、有馬、大村の諸藩の本陣を勤めた。 薩摩藩からは干鰯その他特産品を独占的に扱う一手問屋の指定を受け、延岡藩とも廻船82艘と取引先として指定。 その他、朝鮮通信使、長崎オランダ商館長の参府や漁業で大きく発展し、室津千軒と言われた時代も。
室津の歴史や文化を中心に資料を保存、展示している施設。 施設内では「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」のテーマで紹介している。 江戸時代、元豪商嶋屋の嶋屋(三木)半四郎の建物として建設。 北前船等の買積廻船問屋として遠くは松前、江差に及んで活躍、莫大な富を築いた。 北前船は塩・酒・木綿・古着・大豆や雑穀を積み込み、帰りは肥料のニシン粕や昆布を持ち帰るという仕入値ー売値の差額で儲けるなど、西廻り海運で活躍した。
歌舞伎や浄瑠璃、オペラの題材としても知られる清十郎生家跡地。 井原西鶴や近松門左衛門らによる「お夏清十郎」「お夏狂乱」としても知られる。 姫路城下の旅籠大店・但馬屋の娘・お夏は、恋仲になった手代・清十郎と駆け落ちするが、すぐに捕まる。 清十郎はかどわかしに加え店金持ち逃げの濡れ衣を着せられ打首となる。 お夏は狂乱して行方をくらませ、誰も二度とその姿を見ることはなかったとも。
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室津の長の娘で遊女の室君が五ケ精舎を建立、現存する唯一の寺。 古来より文人墨客が室津に寄港すると必ず訪れた。 室君の名前は広く知れ渡り、以降遊女は「室君」と呼ばれるようになったとも。 寺の由来は京都五山の一つ臨済宗大本山相国寺派で正法寺(性空上人)がルーツとも。 一時衰退し、再興の際、見性寺に改称。 室津の海中より夜々光輝を発し現れたとされる毘沙門天王立像は一本造りで平安時代の作とも。 また境内には北前船廻船問屋の豪商嶋屋の三木半四郎が奉納した西国三十三所霊場の石仏が並ぶ。
室津の歴史や文化、民俗を中心に資料を保存、展示している施設。 屋号「魚屋」は江戸時代、苗字帯刀(豊野家)を許され、姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構。 吊り上げ式二重戸や隠し階段などの仕掛けがあり、全国的にも珍しい。
1600年代、四国や九州から訪れた大名は大坂の途中にあたる室津で乗下船するようになった。 他の港は潮流・風・水深不足などを理由に衰退。 室津には大名が宿泊する本陣が紀伊国屋源三兵衛、薩摩屋孫九郎、筑前屋彦太夫、肥前屋四郎兵衛、肥後屋左太夫、一津屋三弥左衛門の6軒あった。 薩摩屋では島津、毛利、牧野、内藤、有馬、大村の諸藩の本陣を勤めた。 薩摩藩からは干鰯その他特産品を独占的に扱う一手問屋の指定を受け、延岡藩とも廻船82艘と取引先として指定。 その他、朝鮮通信使、長崎オランダ商館長の参府や漁業で大きく発展し、室津千軒と言われた時代も。
1600年代、四国や九州から訪れた大名は大坂の途中にあたる室津で乗下船するようになった。 他の港は潮流・風・水深不足などを理由に衰退。 室津には大名が宿泊する本陣が紀伊国屋源三兵衛、薩摩屋孫九郎、筑前屋彦太夫、肥前屋四郎兵衛、肥後屋左太夫、一津屋三弥左衛門の6軒あった。 薩摩屋では島津、毛利、牧野、内藤、有馬、大村の諸藩の本陣を勤めた。 薩摩藩からは干鰯その他特産品を独占的に扱う一手問屋の指定を受け、延岡藩とも廻船82艘と取引先として指定。 その他、朝鮮通信使、長崎オランダ商館長の参府や漁業で大きく発展し、室津千軒と言われた時代も。
姫路藩の藩主池田輝政が建設。 領内の巡視の際、休息に使用した。
姫路藩 御茶屋跡
姫路藩 御茶屋跡
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江戸時代、朝鮮通信使の来日の際、宿舎として使用された。 朝鮮通信使とは室町時代から江戸時代にかけて朝鮮から日本へ派遣された外交使節団。 正式名称、朝鮮聘礼使。 元々、室町幕府の将軍足利義満からの使者として派遣された日本国王使と国書に対する高麗王朝の返礼であった。 安土桃山時代、李氏朝鮮から豊臣秀吉に向けても派遣された。 文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)によって日朝間が国交断絶となったため中断、江戸時代に再開。
1600年代、四国や九州から訪れた大名は大坂の途中にあたる室津で乗下船するようになった。 他の港は潮流・風・水深不足などを理由に衰退。 室津には大名が宿泊する本陣が紀伊国屋源三兵衛、薩摩屋孫九郎、筑前屋彦太夫、肥前屋四郎兵衛、肥後屋左太夫、一津屋三弥左衛門の6軒あった。 薩摩屋では島津、毛利、牧野、内藤、有馬、大村の諸藩の本陣を勤めた。 薩摩藩からは干鰯その他特産品を独占的に扱う一手問屋の指定を受け、延岡藩とも廻船82艘と取引先として指定。 その他、朝鮮通信使、長崎オランダ商館長の参府や漁業で大きく発展し、室津千軒と言われた時代も。
内科や外科の診療所。
室津かきの直売所。
江戸時代、室津は姫路藩の飛び地にあたり、参勤交代や朝鮮通信使、オランダ公使などの江戸参府の際の上陸点となっていた。 姫路藩は番所に約20名の兵を置き、警護にあたっていた。 10本の槍、5本の薙刀があり、港を掃射できる砲台があったとも。 また大阪城の石と書かれた碑と巨石が展示、保存されている。 豊臣秀吉は大坂城築城の際、石垣に使用する石を運搬していたが、西国の大名が「室の泊」で海中に落としてしまった。 しばらく海底に沈んだままであったが1972年の室津漁港修築工事の際に引き揚げられた。
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室津明神山に鎮座する神社。 別名、室明神社。 祭神は、賀茂別雷神、彦火火出見尊。 平安時代、賀茂別雷神社(京都・上賀茂神社)の直系御厨の地になった。 境内のソテツは野生のものでは日本列島の北限として県指定文化財に指定。 江戸参府時にシーボルトが訪れ、参籠所から播磨灘の展望を絶賛。
標高約145mの綾部山にある梅林は西日本を代表する一つ。 南側は播磨灘があり、「海の見える梅林」として人気で、「一目二万本」と賞されることも。
うめ
梅が清涼飲料水としても味わうことができる。