鏡神社
奈良県奈良市高畑町468鏡神社は明治維新の神仏分離までは新薬師寺内にあった。聖武天皇の眼の病の治癒を祈願して建てられたと言われている。また、光明皇后の僧玄昉との不倫の懺悔の意味も含まれている、と言われている。太宰府に赴任していた藤原広嗣が、朝廷が不穏な状況の原因が僧玄昉であるとして討伐のために兵を挙げて結局は賊軍として殺されている。その広嗣を鎮魂のために祀る鏡神社が新薬師寺境内に存在することがそれを表している、と梅原猛は「塔」で述べている。元々はここより西に本堂があった。この新薬師寺は光明皇后が改心して僧玄昉を太宰府の観世音寺に流されその翌年に建て始めている。