浄祐寺
大阪府大阪市北区堂島3丁目3-5創建時期などの詳細は不明である。
当寺は、日蓮宗に属す。
赤穂浪士の矢頭長助や右衛門七父子の墓、五大力墓がある。
矢頭長助は討入り前に死亡。
子である矢頭右衛門七は討入りを果たした。
江戸への討入りのとき貧乏で路用がなく、里人から借金をして出発した。
大石良雄は後になってこのことを知り、里人に返して感謝した。
里人は討入りを伝え聞き、墓を作ったという。
1737年、五大力墓は、曽根崎新地で起きた殺傷事件の犠牲者である。
武士の恋が招いた事件は、「五大力恋緘」となった。