洲崎遊郭開始以来先亡者追善供養碑
東京都江東区東陽1丁目38-161700年前後の元禄年間に埋め立てられた土地で、古くは「深川洲崎十万坪」と呼ばれた。
1888年、東京帝国大学校舎の建設に伴い、風紀上の観点から東京都文京区にあった根津遊郭から移転。
全盛期には約300件がひしめき、吉原と並ぶ都内の代表的な遊廓として人気を集め、吉原の「北国」と同様、「辰巳」の異名を持つほどに発展。
1945年、洲崎遊廓の閉鎖令が下され、跡地は軍需工場等となった。
東京大空襲で洲崎はほぼ完全に灰燼に帰し壊滅した。
戦後、復興し、「洲崎パラダイス」の名で遊客に親しまれた歓楽街となった。
1958年、売春防止法が成立され、衰退。