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観音川のそばにひっそりと碑が残るのみですが、ここにはかつて関所が置かれていました。この辺りは、北陸の旧街道だったようですね。 慶長6年(1601年)、初代福井藩主、結城秀康(徳川家康次男)が越前入国の際に設けられたと伝わります。 国境の取締り、通行人や物資の搬出入を監視する役割があったそうです。 当初は<関所>と呼ばれていたそうですが、その後は<口留関所>となり明治2年(1869年)の廃止まで稼働していたようです。
2023年9月21日
2022年1月6日
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観音川のそばにひっそりと碑が残るのみですが、ここにはかつて関所が置かれていました。この辺りは、北陸の旧街道だったようですね。
慶長6年(1601年)、初代福井藩主、結城秀康(徳川家康次男)が越前入国の際に設けられたと伝わります。
国境の取締り、通行人や物資の搬出入を監視する役割があったそうです。
当初は<関所>と呼ばれていたそうですが、その後は<口留関所>となり明治2年(1869年)の廃止まで稼働していたようです。
2023年9月21日
2022年1月6日