平尾亥開公園
大阪市大正区平尾1-11平尾新田を平尾与左衛門氏らが中心となって新田開発を行った。
「亥」の年に開発されたことに因み、南恩加島抽水所付近の地名「亥開」から「平尾亥開公園」と命名。
1908年、木津川沿いにペスト患者隔離所を開設。
1909年、大阪市北区天満を中心に発生した火災「北の大火」で罹災した約22,000人の市民を収容、小学校も開設。
1914年、第一次世界大戦時、中華人民共和国に滞在していたドイツ兵等の捕虜収容所を設置。
大阪俘虜収容所では、約760人を収容し、朝夕2回の点呼確認を行っていた。
娯楽では、読書、絵画の他、音楽、スポーツなどを楽しんでいたと言う。
1917年、閉鎖後、広島県広島市に移転。