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たくさんある坂本のお寺の中で、特に風格ある佇まいです。江戸初期、元和元年に徳川幕府のブレーン、天海僧正が後水尾上皇から賜ったお寺を移築して開いたのが始まりです。
境内には天海僧正を祀る廟所、慈眼堂もあります。天海僧正の鎧も展示されていました。鎧は紙と布製でとても軽いもの。金箔も豪華な儀式用のものでした。でもお坊さんに鎧、必要なのかな~?
歴史マニアの間では、”明智光秀は実は生き延びて、天海僧正になった。そして豊臣家に復讐した…!”との説も噂されていますが、光秀さんゆかりの坂本の地に天海僧正のお寺があったとは驚きでした。
2020年6月29日
参道から一本奥の道に入ると、寺院の敷地が広がるエリアになります。ここは創建400年を超える、歴代の天台座主が暮らした場所。穴太積みで造られた石垣が落ち着きのある空間を作っています。私はこの階段を背にして見る目の前の下り坂の景色が好きでした。
2018年4月23日
比叡山山麓、坂本にある延暦寺里坊の総本坊で代々 天台座主の御座所とされているところです。1615年(元和元年)、家康・秀忠・家光の3代に仕えた、「天海大僧正」が後陽成天皇から京都白川の法勝寺を賜り、のちに後水尾天皇から「滋賀院」の号を下賜されたのが始まりとされています。
2016年6月12日
2017年1月6日
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たくさんある坂本のお寺の中で、特に風格ある佇まいです。江戸初期、元和元年に徳川幕府のブレーン、天海僧正が後水尾上皇から賜ったお寺を移築して開いたのが始まりです。
境内には天海僧正を祀る廟所、慈眼堂もあります。天海僧正の鎧も展示されていました。鎧は紙と布製でとても軽いもの。金箔も豪華な儀式用のものでした。でもお坊さんに鎧、必要なのかな~?
歴史マニアの間では、”明智光秀は実は生き延びて、天海僧正になった。そして豊臣家に復讐した…!”との説も噂されていますが、光秀さんゆかりの坂本の地に天海僧正のお寺があったとは驚きでした。
2020年6月29日
参道から一本奥の道に入ると、寺院の敷地が広がるエリアになります。ここは創建400年を超える、歴代の天台座主が暮らした場所。穴太積みで造られた石垣が落ち着きのある空間を作っています。私はこの階段を背にして見る目の前の下り坂の景色が好きでした。
2018年4月23日
比叡山山麓、坂本にある延暦寺里坊の総本坊で代々 天台座主の御座所とされているところです。1615年(元和元年)、家康・秀忠・家光の3代に仕えた、「天海大僧正」が後陽成天皇から京都白川の法勝寺を賜り、のちに後水尾天皇から「滋賀院」の号を下賜されたのが始まりとされています。
2016年6月12日
2017年1月6日