長屋王邸宅跡
奈良県奈良市二条大路南1丁目3-1長屋王は奈良時代の皇族(皇親)で、平城京遷都以後、政界の中心であった右大臣藤原不比等の没後、皇親の代表として主導者を握った。
729年、不比等の子で藤原武智麻呂ら4兄弟と対立し、国家を倒すとの密告があり、藤原宇合らに邸宅を包囲され、自害(長屋王の変)。
地下約2mの場所で溝が発掘され、木簡が出土。
その中から木簡「長屋親王」が発見され、長屋王の邸宅跡とした。
長屋王は、高市皇子(天武)天皇の長男)の子として生まれた。
704年、正四位上、710年、式部卿、最高位の左大臣となって政権を担当。