水口宿鵜飼本陣跡周辺のおすすめスポット情報が掲載されているページです。
水口城資料館
野洲川の中流域にあたる水口丘陵に位置する。 また、甲南部、杣谷を経て伊賀とを結ぶ「伊賀街道」が通る。 1600年代、周辺は徳川氏の直轄地となり、東海道の宿場町に指定された。 3代将軍徳川家光は、京都への上洛の際の宿館として、道中に水口城(水口御茶屋)を築城させた。 作事奉行は小堀政一(遠州)が務め、城内は二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれた。 以後、幕府の任命した城番が管理する「番城」となった。 1682年、加藤明友が入城し、水口藩が成立した。
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水口城跡
水口城跡 水口城は寛永十一年(1634)三代将軍家光の上洛に先立ち、道中となる水口に専用の宿館として築かれた。城は堀と石垣をめぐらした本丸と北側の二の丸からなり、本丸内部には御殿が建てられている。その建物構成は京都二条城に共通し、数奇をこらしたものであった。
水口岡山城
古城山にあり、古城、岡山城とも呼ばれる。 古くは「大岡山」「岡山」と呼ばれ、山上には「岡観音」と呼ばれた大岡寺(現在は移転)があったとか。 羽柴秀吉の命により中村一氏が、甲賀郡の支配の拠点として築城。 以後、増田長盛、長束正家らが入城。 関ヶ原の戦いで長束正家は西軍に属した。 水口岡山城に籠城したが池田長吉、亀井茲矩らに攻められて降伏。 その後、廃城となった。 城跡は「水口岡山城跡」として国の史跡に指定。
水口宿
東海道五十三次の50番目の宿場「水口宿」。 石橋の東で三筋に分かれ、それぞれに東見付跡、高札場跡、問屋場跡、からくり時計、水口城跡、水口城資料館がある。 水口歴史民俗資料館は、水口図書館に併設され、地域の曳山祭や宿場に関連した展示がある。 真徳寺の表門は、水口城内の家臣屋敷の長屋門を移築したものであるとか。
大徳寺
大徳寺と徳川家康の縁は深く、開山の栄誉住職が家康の重臣本多平八郎の伯父だった関係から、家康は上洛に際して水口に宿泊し、家康の家の字と松平の松の字をとって家松山の山号を賜り、また第二栄誉のとき大徳寺の寺号や香木、寺領等を寄進している。
東海道水口宿 東目付(江戸口)跡
東海道水口宿 大池町のからくり時計
天王町曳山蔵
三筋の町 からくり人形時計
水口宿問屋場跡
東海道水口宿 水口城天王口跡 案内板
水口宿は、天正13年(1585)の水口岡山城築城の際に形成された城下町として、江戸時代には東海道を中心とした特徴的な「三筋街」として発展した。 広重は、干瓢を作る人たちを描き水口らしさを表現している。干瓢作りは、水口城主であった加藤氏が下野(栃木県)から移入してきたおりに奨励し、特産物にした。
水口宿脇本陣文右衛門跡
田町・片町曳山蔵
旅籠町曳山蔵
東海道水口宿 高札場跡
東町曳山蔵
甲賀市 水口歴史民俗資料館
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大岡寺
白鳳十四年(686)僧行基が諸国行脚に際し、大岡山の山頂に自彫の十一面千手観世音像を安置し創建したといわれている。その後寺勢盛大を極め、十六の坊舎を擁していたと伝えられるが、天正二年(1574)の兵火で、堂字はことごとく焼失し、東之坊(本坊)を残すのみとなっている。
鹿深いちご園
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琵琶湖
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