大石理玖の生家跡
兵庫県豊岡市京町7-14江戸時代、赤穂藩家老大石良雄の妻。
1669年、但馬国豊岡藩京極家の家老石束毎公の長女として誕生。
香林院 理玖(りく)の母は佐々信濃守休西の娘。
石束家は代々京極家の筆頭家老を勤め、京極家中一番の名門家。
身長は180cmと大柄であったとか。
1687年、播磨国赤穂藩浅野家の筆頭家老の大石良雄と結婚、赤穂城内の大石邸へ移住。
長男松之丞(大石良金)、長女くう、次男吉千代、次女るり。
徳川将軍綱吉から家宣に代わり将軍宣下を行ったことにより、大三郎は安芸国広島藩の浅野本家に仕官。
次女るりも広島藩士で浅野家一族の浅野直道と結婚。