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別名、妻鹿城、甲山城。 鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍、薩摩氏長の子孫にあたる妻鹿孫三郎長宗によって築城、初代城主に。 1330年代、妻鹿孫三郎長宗は元弘の戦で赤松円心に属して功を立て、妻鹿地方を領有、国府山城を築城。 1573年、黒田孝高(黒田官兵衛)の父・職隆は姫路城から当地に移り、居城とした。 1580年代、黒田孝高(黒田官兵衛)は居城とした姫路城を豊臣秀吉に譲り、父・職隆とともに移住、居城。 甲山は標高約100m、山頂付近からは姫路市街地を一望できる。 近年の発掘調査により、遺跡からは土師質外容器・経筒、須恵器甕、青白磁合子、泥塔、銅鏡、銅銭などが出土。
2019年8月10日
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別名、妻鹿城、甲山城。
鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍、薩摩氏長の子孫にあたる妻鹿孫三郎長宗によって築城、初代城主に。
1330年代、妻鹿孫三郎長宗は元弘の戦で赤松円心に属して功を立て、妻鹿地方を領有、国府山城を築城。
1573年、黒田孝高(黒田官兵衛)の父・職隆は姫路城から当地に移り、居城とした。
1580年代、黒田孝高(黒田官兵衛)は居城とした姫路城を豊臣秀吉に譲り、父・職隆とともに移住、居城。
甲山は標高約100m、山頂付近からは姫路市街地を一望できる。
近年の発掘調査により、遺跡からは土師質外容器・経筒、須恵器甕、青白磁合子、泥塔、銅鏡、銅銭などが出土。
2019年8月10日