お気に入りに追加お気に入りを外す
江戸時代、小名木川は隅田川と旧中川を結ぶ運河として建設。 途中、横十間川、大横川と交差。 小松橋と新扇橋の間には扇橋閘門を設置、閘門より東側は地盤沈下が著しく0m地帯のため水位を1m下げている。 1590年頃、江戸城主の徳川家康は兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(千葉県)に着目。 小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削、河川の名称の由来に。 完成後、塩の運搬が安全で容易となり、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の年貢米など塩以外の品物や客も運搬。 1629年、江戸物流の重要河川となり、利根川東遷事業と併せて拡幅、小名木川と旧中川、新川の合流地点には「中川船番所」が設置。
2021年6月25日
スポット情報に誤りがある場合や、移転・閉店している場合は、こちらのフォームよりご報告いただけると幸いです。
ご報告いただきありがとうございます。 お送りいただいた内容は、スタッフが確認次第なるべく早く対応いたします。
送信に失敗しました。 お手数ですが、時間をおいて再度お試しください。
ログイン
Facebookでログイン
パスワードを忘れた方はこちら
初めての方は ユーザー登録をしてください
ご利用のブラウザでは正しく画面が表示されない、もしくは一部の機能が使えない可能性がございます。以下の推奨環境でご利用ください。
推奨環境:Google Chrome 最新版、Safari 最新版
江戸時代、小名木川は隅田川と旧中川を結ぶ運河として建設。
途中、横十間川、大横川と交差。
小松橋と新扇橋の間には扇橋閘門を設置、閘門より東側は地盤沈下が著しく0m地帯のため水位を1m下げている。
1590年頃、江戸城主の徳川家康は兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(千葉県)に着目。
小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削、河川の名称の由来に。
完成後、塩の運搬が安全で容易となり、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の年貢米など塩以外の品物や客も運搬。
1629年、江戸物流の重要河川となり、利根川東遷事業と併せて拡幅、小名木川と旧中川、新川の合流地点には「中川船番所」が設置。
2021年6月25日