島田大堤
静岡県島田市河原1丁目14-2天正の瀬替え以降、島田宿 の大井川 沿いに築かれていた川除堤が、慶長の大洪水で決壊し、建設まもない島田宿のすべてが押しながされました。
島田代官長谷川藤兵衛長勝 の頃、向谷水門を掘抜き、宿内に三本の灌漑用水を完成させて、復興が本格化しています。この頃(正保元年・1644年)までには完全な大堤が完成していたことと思われます。
これらの治水・灌漑工事により、島田宿の米の生産高は以前の20倍にも増えています。
大堤の規模は高さ二間で向谷水門下から道悦島村境までの長さ3150間と記録されています。長い間島田宿及び下流の村々の生活を守ってきた大変重要な大堤だったのです。