美女堂氏遺愛碑
大阪府東大阪市若江北町3丁目3若江には、吉左衛門、孫六、理兵衛、善右衛門と名乗る美女堂氏の四家があった。
祖先は貴族に仕えていたが、家は没落し、農家になった。
太田公は大坂の城代となり、孫六はこれを聞きつけて仕官し、沢右衛門と改称、駿府(静岡)に移ったが再び、大坂の城代となった。
祖先の地を訪問したところ、吉左衛門のみが存命。
その吉左衛門は、「あの、生い茂ってる老松のあたりが勝興の住居跡です。あの、さらさらと流れている川を美女堂川といいます。舟をとめたり、また、田が入りまじってるあたりを美女堂田と申します。人々は皆、昔ながらの呼び方をし、今でもなお、そう言ならわしております。」と懐かしみ、涙を流した。